12.02.2013

脱英の喜び (EEA2滞在許可取得まで)

ついにこの日が来た。あのパスポートを手放したあの日から5ヶ月してようやく滞在許可が下りたのだ。

今年のクリスマスはデンマークに帰れるのか?まだか、まだかと首を長くして待つどころか、迂闊にも(と言うか必要に迫られて)引っ越してしまったので、申請時に住んでいた家の鍵を返却するまでにビザが降りるのか、そしてRoyal Mail は紛失することなく配達してくれるのか?と、毎日のように追跡番号をチェックしていた日々にようやく終止符を打つことが出来た。

追跡番号の他に常時チェックしていたのが他の申請者が集うオンラインフォーラム。ちょうどワタシより3週間先行して申請していた方のタイムラインとワタシのこれまでの進行のペースが同じだと気づいた。それに当てはめるとワタシのパスポートもそろそろ届きそうだという目論見もあった。

そして12月上旬のとある早朝、もはや毎朝の日課になりつつあった追跡番号を調べていたら、ネットの調子が悪いのかエラーが連続。お昼過ぎに再度チェックすると既に配達完了となっている。サインが必要な筈なのにどうやって?と真っ青になって彼に連絡すると、急遽ビューイングが入ったらしく、お昼休みに家に立ち寄った際に配達員と鉢合わせる形でパスポートを受け取って仕事に戻ったとのこと。ビューイングはドタキャンされたが、そんなことどうでも良く思える出来事だった。

その日の夜にデンマーク行きのチケットを購入したのは言うまでもない。



 (2015年10月追記)

この記事はてっきり公開したものだと思っていた。すっかりブログなど放置していた事は棚に上げて、ビザ関連で拙ブログを訪問してくださっている方が多いようなので、ビザ関連の情報を少し。
上記にリンクを貼ったのは immigrationboards.com の中にあるオンラインフォーラム。Home から United Kingdom - non - Tier そして EEA-route Applications へ進み、そのページのやや下の方に EEA Application Timeline というスレッドが立っているので、そこで最新のページを開くと最新の申請者のタイムラインが書かれている。

私の場合、申請してから Home Office から3度書類が届いた。1通目は書類を受け取った旨が書かれたもの。2通目は CoA(Certificate of Application)と呼ばれる、就労の有無が記された書類。3通目が5年の滞在許可のステッカーが貼られたパスポート。

シリア難民の影響でもっと時間がかかるものと思っていたが、友達は2015年の初夏に申請し、4ヶ月弱でパスポートが戻って来たようだ。


11.18.2013

House Hunting: Round Two

引っ越してから三ヶ月。旦那が出社してしまうとワタシが何処にも行けないと言うのが一番の理由なのだが多々不満に思える所が出て来たので、まだまだ六ヶ月の入居期限満了まで時間があったが、前回の散々だった苦い経験を活かし早めに次の家を探す事にした。

条件は、ワタシが歩いて買い物に行ける立地で、ネコ可、収納スペースがあり、食洗機を置けて、駐車場も路駐ではないと言うのが第一条件。第二条件がホームシアターを復活させるべく、プロジェクター及びスクリーンを設置出来るスペースがあること(イギリスの典型的な間取りで例えるなら、暖炉が潰れていること)。譲りに譲って部屋数が少なくなることだった。

時間があるとは言え、延ばし過ぎるとクリスマス休暇に突入してしまうので、ある程度妥協するのを覚悟で探していたら、まだ工事中のとある新築物件に巡り合った。そんなにガラの悪い地域ではないのにゲートに囲われ、セキュリティーカメラも設置されている集合住宅である。見学してみると、昨今の新築物件通り間取りが狭い上に収納スペースがない。食洗機も小さいサイズに買い替えればギリギリ納まる。

完成まで時間はありそうなのだが、ワタシ達が入居したいレイアウトは一軒だけで、残りは更に狭い。申し込んでしまいたい気持ちを抑え即答は避け、その場を後にした。翌朝にもビューイングが控えていたのである。「もう一軒だけ見て、それから返答しよう。」この判断は、2013年後半で下したベストのものだった。翌朝の物件がアタリだったのである。

賃貸サイト上では改装中で家の雰囲気が全く掴めなかったその物件はダウンタウンまで歩いて行ける距離にあり、ホームシアターこそ叶わなかったがワタシ達の条件を全て満たしていた。室内飼いの猫はデポジットを多く払うことですんなり解決し、更に庭にはクッキング用の林檎の木と言うオマケまでついて来た。大家も、不動産屋も良いヒトだったのも大きい。入居日が予定より早かったが、こんな良物件が二度と現れる事はないのでダブルで家賃を払うことを承知でその場で口頭で申し込み、週明けに書類にサインをした。

ホームシアターと猫。 まだまだ仔猫だったデンマークにいた頃。


11.04.2013

ナビに弄ばれた日

先月敗北したコミカレ戦に懲りることなく、次なるターゲットを絞り、近く(でもないが)の大学で開催されているコースを取ることにした。運よく初回のレベルチェック日は彼が運転手を務めてくれることになり、ドライブデートを兼ねた通学路と駐車場の下見は事前に済ませておいた。

話は変わるが日本とイギリスは共に右ハンドルで、左ハンドルの他のヨーロッパの国々と違いそれ程運転に差はないのだが、違うのはウィンカーとワイパーが逆と言うことだろうか。飲み込みの遅いワタシは晴天時に不必要にウィンカーを作動させて一人あたふたした事が何度もあった。逆に雨天時のウィンカーの記憶がないのはワタシが学習した訳ではなく、それまで雨の日に車に乗る機会がなかっただけの話である。それ程運転に慣れていなかったペーパードライバーが一人で高速を使い遠出するのは、ある意味チャレンジングであり、他のドライバーにとっては迷惑以外の何物でもない行為である。

さて、緊張の授業初日、早めに帰宅してくれた彼とバトンタッチする形で車を確保。ラッシュアワー時の交通量は予想こそしていたし、ラウンドアバウトは恐怖の連続だったが、トラブルは一度エンストさせた位で冷や汗をかきつつどうにか学校に到着する事が出来た。ほっとない胸を撫で下ろしたが、この時は至難の帰路を迎える事のなるとは思いもしなかった。

授業後彼に帰るよテキストを送り、夕方のラッシュとは打って変わって静かな道路で、かなりリラックス。ナビゲーション(以下ナビ)を忠実に守り車を走らせるも、ラウンドアバウトでの出口が見当たらない。クルクル二周ほどまわった所でようやくワタシの乗りたい高速が道路工事で閉鎖されているも、ナビにその情報が反映されていない事に気付いた。いつも運転手を彼に任せっぱなしで土地勘が全くない自分に舌打ちしつつ、往路で使った高速道路よりもメジャーな高速に乗り、途中で下りて帰路に着く事にした。

心なしか行きよりもトラックが多く感じた道に慣れた頃、見覚えのある名前の町への出口で高速を降りてナビを再設定し、心新たにハンドルを握るも何か違う。段々と道幅が細くなり、田舎道と言うよりも、もはや農道?キツネやウサギの集団を目にする事、数回。対向車に道を譲ったらもう車道に戻れなさそうな程の一本道を延々と走らせされること数十分。ようやく家の光を目にした時のワタシは半泣きだったと思う。夜道が恐かった事もあるが、何かあった時にワタシの脆弱な携帯では対処出来ない不安の方が大きかった。

振り返って書いてみるとつまらないが、当時の自分にとっては一大イベントであった。何もなくて良かったが、それ以降は帰路の道路工事情報をチェックしてからナビを設定する習慣が付いたと、自分の名誉の為に書き加えておこう。

10.07.2013

コミカレに敗れる

労働許可は下りたけれど、働く場所もないし、通勤手段も限られてるので、さらさら仕事など探していなかったのだが、いかんせんヒマ。このままだとアタマが溶ける、と、近くのコミュニティーカレッジ(以下コミカレ)のコースでも取ろうかとカタログを手にとったのだが、ドイツ語の人気のなさをつくづく実感させられた。じゃ、仕方が無いのでスペイン語でも取ろうと言う柔軟性にも欠けるワタシに残された道は英語のブラッシュアップ。せっかく英国にいるのだから、英語の資格が一つや二つあっても悪くなかろう。

早速電話でその資格のレベルのコースが開かれているか確認するも、散々たらいまわしにされた挙句、スッキリした回答が得られず、レベルチェック時に直接講師に問い合わせる事にした。

話は逸れるが、車がなければ何処にも行けない田舎住まいのワタシにはフラッと出かけるコトが不可能で、日中車が必要な場合は朝晩は彼の運転手を務め、車を確保しなければならない。こんな些細なコトがぐうたら主婦には良い刺激になるのである。と言うか、すっかりペーパードライバーに成り下がったワタシには心臓に悪い一大イベントなのだ。しかもワタシ達の車は新車。傷もつけたくなかったので休日の車が空いている日に車庫入れの練習に巨大駐車場を構えるコミカレまで出向く必死振りである。

で、やって来たレベルチェック当日。いつもより早起きして彼を会社に送り、冷や汗流してコミカレまで運転して行ったにも関わらず、ここまで念入りに事前準備をして来たにも関わらず、「アナタに合うレベルのコースはオファーしていないわ」のつれない返事。よくよく話を聞くと移民向けのコースしか開催していない様子。比較的大都市の近郊の語学学校の情報を貰っただけで終わってしまった(いや、そこに行きたくないから近場のコミカレで手を打ちたかったのだが)。

のらりくらりとした電話対応やら、講師の英語の資格の知識やら、イギリスの洗礼を受けていることを実感したコミカレ長期戦。生殺し的に敗北ですわ。







9.17.2013

在英3ヵ月

自宅に引きこもっているには勿体ない位の晴天に恵まれた9月のとある週末、車でウォーキングに出かけた。車道はフラットなデンマークに比べ高低の差が激しく感じる。あえて例えるならジェットコースターと言った感じか。そんな道路を走り、いくつもの町を抜けるだけでも新鮮だったのだが、彼の地元の同僚に薦められたその場所は着いてみたら納得の地元民に愛されるお散歩スポット。駐車場もびっちり埋まっていた。

これは期待出来る、と希望で胸ふくらませるも、小腹が空いていたワタシ達。膨れたのは駐車場で美味しそうに売られていたホットドックで埋まったお腹の方だった。しかし、小川に沿った手が行き届いているコースと、そこを行く小さなお子さんや犬を連れた家族連れを見るだけでも幸せになれた午後だった。

普段ぶぅぶぅ文句を垂れてばかりだが、こんな経験が出来るなら、イギリス生活も悪くないと初めて思った在英3ヵ月。

帰り道は羊達がお見送り


9.10.2013

まだ土地に慣れていないと感じる時


あまりにも暇なので、ドイツ語でもやろうかな?と、引っ張り出して来たのは CASIO Ex-word XD-L7150 電子辞書 確かパネル式が導入される1つ前のバージョンで、今でもオークションで取引されている程の影の人気商品だ。が、辞書選択が出来ない。他のボタンもうまく機能しないので思い切って解体してみることにする。保障期間は既に切れているし、メーカーも対応してくれないので仕方ない。


電子回路なんて全く分からないが、断線している様子もないので導電ゴムの劣化だろうと推測して処置を進める。嗚呼、日本だったらアルミテープなんてものが手軽に買えるのに。嗚呼、日本だったら両面テープなんて大抵の家庭にありそうなものなのに。

仕方なくノリとアルミホイルで応急処置。嗚呼、ホームセンターの場所どころか店名すら分からないイギリス生活2か月目。

9.03.2013

ホームシック

先日デンマークの義母から救援物質が届いた。中身は食品。ありがたいことである。

「アレがない。コレがない。」とはデンマーク生活で十分感じたことだったが、1年もすれば慣れるだろうと思ったし、慣れたつもりのワタシが浅はかだったのだろう。デンマークにすらあったものがイギリスにはない現実に、「アレがない。コレがない。」と最初の2か月はひたすら不満を漏らしていたように思う。

デンマークではドイツ系スーパー Lidl の徒歩1分内に住んでいたし、自転車で5分も走れば更に2件別のスーパーへアクセス出来ていたので全く不自由しなかった。特にLidlは我が家の冷蔵庫及びパントリーの役割を果たしていたので、イギリスでの生活が不服になるのも当然と言えば当然な成り行きだ。

事前にイギリスにもLidlがあることは確認していたけれど、いざ店内の陳列が同じで取扱い商品も同じものが多いことを確認した来店初回はほっと胸をなでおろしたものだ。「胃袋を掴んでおけば・・・」ではないけれど、食生活を劇的に変えなくても済みそうな現実に、イギリス生活も何とかやっていけそうな気がする。




デンマーク製のバター スプレッド式とは言え、まさかの1キロ入りにお目にかかれるとは だからみんな大きんだよ

8.27.2013

監禁の秋、再び (EEA2滞在ビザ)

運転免許証の申請でパスポートを使ったその先に待っていたのはワタシの滞在申請。今ワタシが持っているビザはイギリスを行き来が可能なだけで、滞在許可ではない。今回申請するのは5年有効の滞在ビザ。そしてこの手の申請にはパスポートの提出が必須。申請してから6ヵ月以内に発行されるらしいけれど、早くパスポートを返してもらえなければクリスマスにデンマークに帰れない。今回はワタシだけではなく、彼のパスポートも提出するのだから、切実な問題である。

配偶者のパスポートも送付したとは言え、今回揃えた書類は前回のEEA Family Permit 申請時より簡素な印象を受けた。もう滞在許可はカード式になったのだから、パスポートを返却してくれても良いと思うのはワタシだけではない筈。そして前回にはかからなかった手数料が£55かかるようになった(翻訳料など、その他諸々かかったから前回もタダではなかったけど)。まぁ、これは配偶者がEU出身だからであって、イギリス国籍の方だともっとかかるようだから大きな声で文句は言えないのだが。

では何が不満かと言うと、申請期間中はイギリスから出られないのが辛い。デンマークで申請した滞在許可は約3ヵ月で下りたが、今度は6ヵ月である。イギリスにはたくさんの方がいらして、ブログなども楽しみに訪れさせて頂いているが、同じようなケースの方も6ヵ月ギリギリで下りているようだ。永住許可(って名前ではないけれど)に関しては最近は早めに下りているようなのでその波に乗らないかな・・・と甘い夢を見つつ、時間のつぶし方を本気で考えなければいけない。

去年はこんな感じで値下げされたクリスマス用のリネンの装飾を取っていたな。

8.20.2013

自動車免許証書き換え

2か月の住所不特定(いや、ホテル住まいだろうか)生活の後、ようやく契約書を以て住所を証明出来るようになった。が、一息つく間もなく手続きを進めなければいけないものがある。それは自動車免許証。今後数か月パスポートなしで異国で生活しなければいけない身のワタシにとって、顔写真付のIDカードは必須である。

そんなことで大使館に自動車運転免許証抜粋証明書の申請をして、DVLAへ向かった。運転手は彼。ワタシは当日のパスポート返却を希望していたので、更に個室に通される。ぬかりなく書類を準備したが、日本の免許証でのワタシの名は旧姓のまま。パスポートに括弧書きでこちらの名字が記載されていてもダメらしい。

嗚呼、奥の手はデンマークで苦労して入手したデンマークの運転免許証。これと引き換えにイギリスの免許証が10日程で送られて来た。こんなことなら最初からこの方法で進めれば良かった・・・。

という訳で、ヨーロッパ内での運転免許証をお持ちの方は日本大使館とのやりとりが省けるので手数料が節約出来ますよというお話し。というか、何故EU圏内運転可の免許を持ちつつも、イギリスのものに書き換えた理由は思い出せないのだけれど。

乗って運転するタイプの芝刈り機が必要な程大きな庭もございませんので・・・。

8.13.2013

入居と言う名の似非サバイバル体験

あまり悪く書きたくないのだが、溜めておいても体に悪そうなので吐き出しておくことにする。

契約書類のやりとりに時間がかかるのは仕方ないとしても、要領がお世辞にも良いとは言えないイギリス。はたから見ていても何故?と首を傾げ続け、危うく肩こりが悪化するところだった。

いざ契約を済ませ鍵を受け取るも、10は軽くある。一体どれがどこの鍵かさっぱり。そして鍵は開いている筈なのに、開かないドア2箇所。見学時にはエージェントが鍵を忘れて来て中を見れなかったガレージの扉は今にも壊れそうなほどだった。そしてカーペットが汚い。カビと見間違えるほど汚い。

心が折れそうになっていたのはこっちの方だが、ワタシ達にはやるべきことがある。それはインスペクション。引き渡し前の状態をまとめた書類と照らし合わせて、入居者側のインスペクションをエージェントに返さなければいけない。自分達の事務処理能力を棚に上げて「48時間以内に返却せよ」との取り決まりである。「この部屋の壁に取り外されていないボルトが何本残っている」、「このドアが開かない。明らかに建具が曲がっている」、「キッチンの水回りのコーキングが切れている」、「この部屋のこの窓のロックが壊れている」、「踊り場の床がたわんでいる」、「全体のカーペットが汚いが、この部屋の汚れはまるでカビである」、「カーテンにカビの汚れがついている」、「絨毯及び床にペイントが残っている」等々、記入欄に書ききれなかったので用紙を付け足して提出した。

引っ越し業者の都合で荷物の搬入が遅れる中、猫がデンマークからやって来るのに合わせてホテルを引き払った。ガランとした空間にあるのはワタシ達のスーツケースと、急遽購入した折り畳み式の椅子二脚とポンプ式のマットレスと掛布団。シーツとタオルも必要になったので、IKEAで一通り揃えた。荷物が届くまで、紙コップと紙のお皿でキャンプみたいな数日を過ごした。

エージェント指定の業者には全く連絡が取れなくて、状況が改善されたのは入居してから2週間程経った頃だったろうか。大家ともしばらくしてからようやく会えてカビで汚れた形跡があるカーテンは彼女の家の物だったと判明。カビと思われていたカーペットの汚れも、荷物を搬入していなかった一室は取って貰った。カーテンも付け替えてもらうつもりで引き取って貰っている最中だが、あれから3週間。大家からの連絡はない。唯一カーペットがまともな一室はカーテンがないままである。

こんなに良い景色を知っていいてホームシックにならないほうが無理。

8.06.2013

House Hunting

彼の会社が手配してくれている簡易キッチン付ホテルはダウンタウンの中心に位置し、ふらりとショッピングするにもご飯を食べに行くにも勝手が良かったが、不満が全く無いわけでもない。しかもさっさと住む家を探さねばならない事情もあった。

会社がこれまた手配してくれた引越しのエキスパートと共に希望のエリアを見て、こちらの予算なり、希望なり伝えてHouse Hunting ツアーなるものを組んで貰った。一日に5、6件のビューイングを2度繰り返したが、「これ!」といった物件は一軒しかなかった。しかもその貴重な一件も運悪く半日差で逃してしまった。悪いことにエキスパートも忙しいらしく、ビューイングも10日に一度程度しか組んで貰えない。全くの個人の意見だが、賃貸市場は売買のそれよりもひどいのではないか?貸し手市場なのか、「よくこんな物件を出せるな・・・」と感心してしまう単に立地が良いだけで迷路のようなアパートも、「冬の光熱費はいくらになるんだろう?」と日当たりの悪い、夏でもひんやりするアパートも、全く同意出来かねない嗜好の内装のアパートも、翌週、翌々週には賃貸サイトから消えて行った。

何故ここまで家探しが難航したかと言うと、ワタシ達が猫持ちで、ペット可の物件が必要だったこと。車も新車だったので路駐は避けたかったこと。ホームシアターのスクリーンを設置する場所もしくはそのストーレッジがあること。そして、食洗機がある、もしくは食洗機を置くスペースがあることが最低条件だったからだ。我が家の北欧男子は物心ついた頃から食洗機のある生活を送っていたので、これだけは譲らなかった。ホテル住まいでも食器洗いは苦痛で仕方なかったらしい。

全くの余談だが、トイレもカーペットの物件が圧倒的に多く、これには閉口したが、ないない言っても仕方がないので妥協に妥協した上で何とか家を決めた。タイムリミットが迫っていたので、物件見学はワタシは立ち会わないで彼一人で見て契約した。後に後悔することになるその家の名前は「カビハウス」

 お牛サマが道を渡られるのでこの先ライトが点灯していたらお止まりなさいとの標識。田舎だ・・・。

7.30.2013

2013 夏の試み : 猛暑に玉砕 スカンジナビア語制覇




初めてのイギリスの夏は暑かった。ウィンブルドンをリアルタイムで観戦出来るなんて!と、出かけても暑いだけだし、連日テレビの前で一日の大半を過ごした。アンディ・マリー の優勝ゲームも一部始終観たが、翌日の再放送も全て観た程の浮かれっぷりだった。連日30度近くの真夏日でワタシの頭が溶けただけとの見解もあるが・・・。

で、件のスウェーデン語だが、たった一日でギブアップした。前日にデンマ語を読み倒し、一日目で折り返し地点の第10課まで進んだのは良いが、そこから一向に食指が湧かなくなってしまったのである。テキストのせいにしてしまえば、スウェ語テキストの第10課の一部(それも一文)がデンマ語のそれと違っていたからである。そんな些細なことでへそを曲げなくても、と今なら思えるのだが、とにかく暑さに弱いワタシである。全くやる気にもならなかった・・・。涼しくなったら再開しよう。きっと・・・。

7.23.2013

2013 夏の試み: 当たって砕けろ スカンジナビア語制覇

ワタシには長年温め続けていた挑戦があった。しかし、挑戦と言えるほどワクワクもしないし、野望と言えるほどギラギラしていなく、疑問とするには明快過ぎるし、第一全く利益にも何にもなりそうになく、十年以上一定の距離を置かれ優先順位の最下位にあったモヤモヤを何と表現して良いか、実は良くわからない。まぁ、わかるヒトには分かるし、縁のないヒトには全く面白くも何ともない話である。ただ、こうやってコトバで表現しようとすると過去の様々な感情が溢れては消えて行き、いかにその過去が自分に与えた影響の大きさに漠然とするのだ。うーん。まぁ、いいや。

ワタシが抱き続けて来たモヤモヤは、ノル語、デンマ語、スウェ語の1つを学んでしまえば、残りの2つを学ぶのがどのくらい容易であるか?というコト(ここでほっこりを狙って「北欧語」としてしまうとアイスランドやフィンランドも加わってしまうので「スカンジナビア語」としなければいけないらしい。面倒くさいな)。 実際スウェーデンに近い所に住んでいたワタシはスウェーデン人同士のちょっとした会話なら分かったし(例えば「寒くないの?上着は?」「カバンの中。」←しかし、この程度)、ちらほらと原書でアンデルセンに目を通し、読んだつもりでいた。出来て当然という環境にいた為か、これ等3ヶ国語はもはや「方言」とすら思っていたのは傍若無人っぷりが甚だしかった10代の終わりだ。

あれから十数年の時が流れ、ワタシもデンマークに移り、別の角度からこのモヤモヤに取り組む時が来た。きっかけになったのはこの方のブログ。 残念ながら更新は途絶えているが、何度読み返しても面白い。ワタシがこの方のような向上心を持ち合わせていないのだが、背中を押されたような気になりテキストを買い集め始めたのが去年の秋。母親からの荷物と共に送って貰ったのが今年の冬である。デンマークを離れデンマ語も一休止。時は満ちた。

初めて学ぶスウェ語からやっつけて行こうと思う。


7.15.2013

物欲に屈した妄想

日本を離れ、もうすぐ一年が過ぎようとしている。すっかり飛行機に弱くなった為か、一時帰国の意思も予定も全くないのだが、もし一年前の日本にいたワタシに戻れるなら何を持って来ていたか考えてみたい。

・文房具
 嗚呼、筆記用具でもさんざん書いたが、これほど Made in Japan の文房具を欲するとは予想すらしなかった。フラットになるホッチキス、引っ張ってもブレないテープカッター、薄くて使いやすいバインダー、きちんと穴があく穴あけ機(って普通の要求なんだけど)、使い勝手の良い関数電卓(いや、これは単に慣れの問題だが)、ちょっとしたノート、滲まないペン、インクが漏れないペン、乾燥しないペン、インクが途切れないペン、ペン、ペン、ペン・・・。ずっと書いていて手が疲れないペンなんて、高望みはしていないんだけどな・・・。

・最低限の調理器具
 日本食はあれば食べるけど、無くても平気というワタシでさえ、無くて困ったもの。それは菜箸。
 たまにはうどんでも食べるかな、と探しても探してもなかった面棒。(パン作りの)ガス抜き面棒でうどんを伸ばすことになるとは・・・。餃子の皮は試していない・・・。
 ご飯茶碗やお味噌汁のお椀なんて、持ってきても多分使わないんだろうけれど、うどんやラーメンのどんぶりは欲しいな。手に入ったが最後、麺しか食べなくなったりして・・・。
 ちょっとした小皿や取り皿(まぁ、セットで買った食器しかない我が家が悪いのだけど)。
 茶漉し付きの急須/ティーポット

・食品/調味料
 たまに食べたくなるのがお蕎麦やうどん。乾麺をもっと持って来れば良かった。
 粉末だしとか、こだわりがあるならお茶とか。

・書籍
  あれもこれも捨てず/売らずに全部持って来れば良かった。鍵編みの入門書とか、手芸の本とか。デンマーク語の文法本とか。

コンタクトはこっちに来る前にまとめて購入しておいたし、面の皮が厚いのか化粧品はどこのでも良い。基礎化粧はこっちの方がオーガニックの敷居が低いのか安く買えるみたいだから、今後の課題はクレンジングオイルを探すくらいか。流行にも疎いので服にこだわりがあるわけでもない。それなのにどうして日本から送った荷物があんなに多かったのかは未だ謎だ。

7.09.2013

Moving to UK with EEA Family Permit

デンマークに嫁いで11ヵ月。今度はイギリスに引っ越すことになった。

喉元を過ぎれば何とかやらで、デンマークでのビザ申請がどれだけ大変だったかなどすっかり忘れ、苦虫を噛み潰したような顔で手配を始めた。国際結婚とは切っては切れない関係にあるビザの手続きだが、前回の申請からたった9ヵ月。ロマンスの自爆装置と呼んでいるその手続きを、何が悲しくてこんなにもすぐ繰り返さなければならないのか?しかも季節は初夏、場所は北欧。暗く長い冬が終わり、1年で一番良いと言われている季節にデンマークを去るのだ。夏至祭(サンクトハンス・アフテン)は今年も逃した。

不満を漏らしていても仕方がないので Home Office の申請書とガイドラインをプリントアウトして読み込む。オンライン申請し、コペンハーゲンにある施設でバイオメトリックを予約、がっつりビデオを撮られながらインタビューを受け、指紋も取られ、送付用封筒と、DHLの返信用伝票を貰った。ワタシ達がUK Border Agency(以下 UKBA) 送った書類は以下の通り。インデックスは当然付けた。

1.    プリントアウトした申請書とバイオメトリック時に貰ったDHLの返信用伝票
2.    現行パスポートのコピーと原本
3.     パスポートサイズのカラー写真
4.    滞在許可証のコピー(と、原本は送るなと注意書きされた書類)
5.    期限切れの1つ前のパスポートのコピー原本
6.    婚姻証明書(英語を含む外国語版)のコピーと原本  
7.    配偶者による証明(手紙)
8.    配偶者の雇用主からの手紙
9.    配偶者のパスポートのコピー(コペンの公証人役場で取って貰えた)
10.  配偶者のIDカードのコピー
11.  申請料(はかからない筈なので、とりあえず返信郵送料の領収書)
12.  配偶者の残高証明(のプロによる英訳)

書類を送ってから散々後悔したのだが、会社の法務からもそんな指示はなかったのでお付き合いや婚姻を証明する結婚式の写真等は一切添付しなかった。銀行の証明は前もって弁護士のチェックを受けていたし、何かあったら連絡は弁護士にね、と、記せたのは大きかった。バイオメトリックを受けてギリギリ3日以内の金曜の午後に発送。「週明けには届くよね?」と、一安心したのだが、この時はこれから悪夢が始まるとは夢にも思わなかった。
 
そう、配達途中に荷物が紛失したのである。

通常、パスポートを手放すなど、海外生活を送っている人間には考えられないコトだが、大英帝国サマの仰るのだから、間違いないだろうと信じたワタシ達が間 抜けだったのか?(多分そうだ)。指定された封筒に(追跡可能な)指定された方法で送ったのだが、イギリスに着いた途端、足跡が途絶えたのだ。

双方の郵便局に連絡を取り、弁護士にもUKBAに取り合って貰ったが、何の進展もないまま刻々と時間だけが過ぎて行った。アパート契約を解消し、次の入居者の目途も立っていたので、早く次の手を取らなければ間に合わない。荷物が完全に紛失したとの最悪の場合を想定して、彼のパスポートの認証されたコピーを地元の公証役場で取り、コミューンで婚姻証明書を再発行してもらった。そしてワタシのパスポートを再発行するのに必要な戸籍抄本(都心に限らず、全国どこでも海外から手続き出来るようにして貰いたいのだが)を実家に依頼をしたその日に、ようやく荷物が配達されたとの確認が取れた(って、追跡して判明しただけで、謝罪は一切なし)。

興味深かったのが彼の対応で、「確かに事態は深刻だが、紛失したのは所詮、物だ。人間が事故に遭ったとか、重傷を負ったわけではないのだから、最悪の事態ではない。」と言ったコトだった。「なくなったのはアナタ(彼)のパスポートではない!」とつっこみつつもそれなりに納得したワタシ。それでも、忙しくしている両親に戸籍謄本を取って送って貰うコトが心苦しくて(さすがにパスポートがなくなったことは伏せておいた)、早く発見されないか、されないかと何かに憑りつかれたかのように始終タブレットで追跡ページを更新していたのが、ワタシのデンマーク生活最大の修羅場だった。 ちなみにデンマーク滞在をかけた筆記テストもこの修羅場の10日間の間に受けた。語学テストというよりもう、精神の修行か何かだろう。

荷物を捌いた人間がいい加減で、その辺に放置しておいたのだが、紛失賠償の申請がされたのをきっかけにその上司が確認することになり、郵便物がパスポートだったコトを知ってあわてて配達したのではないか。と、下衆な推測をしてみたが、当たらなくとも遠く外れていないと思う。

DHLの追跡によると、返送郵便物が英国を出たのはUKBAに書類が届いてから9日後のことだった。これに関しては10-15日はかかると踏んでいたので評価したい(って偉そうだが)。っていうか、まさか渡英前から Royal Mail の洗礼を受けるとは。うわさには聞いていたが良い経験をさせて貰った。サービスの質がデンマークに住んでいた頃よりも下がるのは必須である。

本来であればイギリスへは配偶者と共に入国しなければならないらしいが、彼が既にイギリスで働いていたので、ワタシ一人での入国であった。パスポートに記載されていない滞在分はOpholdskort を見せて証明した。イギリスへの入国の厳しさは以前から聞いていたのでガクガクブルブルして入国管理局へ向かったが、幸運なことにワタシのフライトはEU発。前後に海外からの便がなかったのか、EU以外の列も待たず済んだ。 親指と人差し指の指紋を取られ、(ビザの有効期限が6ヵ月しかないので)「早く延長手続きをするように」と指示されたくらいで、あっけなく入国となったが、ふりだしに戻って一からやり直しという感じが否めない。もう少し肯定的に表現すると、経験値は積んだがゲームオーバーで、異なるステージでプレイする感じかな。

大きな声では言えないけれど、既にホームシック

7.02.2013

さよなら語学学校

日本を離れて11ヵ月が経った。区切りの良い1年ではなくて11ヵ月で振り返るのは、北欧某N国や、ドイツの大学町で過ごした期間が11ヵ月だったからだ。右も左も分からぬまま留学生活が始まり、何とか自分の力でやって行けるようになるまで11ヵ月かかった高校交換留学。単位を取りまくった大学交換留学。過去のそれらと比べてデンマークでの生活はかなり緩いものだから、もっと頑張らないとな、と自分で自分を叱咤するつもりでいたが、もうそれすらも叶わない。何故ならワタシは既にデンマークを去っているからだ。

何となくこの国を離れるかもと、雲行きが怪しくなって来たのはロックアウトが始まった頃だろうか。彼のLinkdinのプロフィールに興味を持った会社からアプローチがあり、ロックアウトが長引いているうちに、あれよあれよと転職が決まってしまったのだ。皮肉にも最終オファーが出たのは、ワタシのOpholdskort が届いた日だった。モジュールテストの前日は、引っ越し先のビザのアプリケーションを読み込んで、勉強どころではなかったし、テスト当日もパスポートをスキャンしたりと直前までバタバタしてテストどころではなかった。2週間程は申請手続きの書類集めやら、アパートの引き払い手続きやらで宿題すら出来ずに行き当たりばったりで受け答えをするというスリリングな授業を経験した。

先に述べた通り、ワタシのクラスメートは皆、出来るヒトばかりである。そしてワタシも北欧初心者ではない為、デンマーク語を学ぶのがそこまで苦ではない。そして手のかかる小さな子供がいるわけでもない気楽な身である。Job Center の(御目付役)担当者の感触も良かったし、クラス全体が11月にPD3を受ける流れだったので、ワタシも便乗して11月にPD3を受け、通常2年で終えると言われているコースを1年で終わらせるつもりでいた(し、先生にも太鼓判を押されていた)。無料で学校へ通えるのは3年なので、PD3後は残りの2年でゆっくりStudieprøvenの準備をするか、どうしても高得点が必要ならばPD3を来年の5月に受け、Studieprøvenに1年半をかけるつもりでいたのが、嗚呼、残念。ゆくゆくはぬくぬくとSUを受けながら院に進み、正規の学生をしているうちに永住権を申請するつもりだった(フルタイムの職に就くのは既に諦めている)のだが、嗚呼、残念無念。

純粋に楽しくデンマ語を学べたのが2ヵ月弱。移住テストの代案であるPD1受験の為にと引っ越し準備の合間に学校に通ったのが2ヵ月近くと、約4ヵ月という短い期間のワタシの語学学校生活はモジュール3から4に駒を進めただけで一時休止となった。再開の目途は立っていない。とは言え、こちらの家族はデンマークにいるのだから、これからもデンマ語との付き合いは続いて行く。堕ちない程度に自分でやって行くしかないな。

そんなこんなで昨年の秋から始めたブログも一時休止。もう、リアルの引越しでおなか一杯なので、このブログは図太く続けて行くけれど、カテゴリーは変える予定。

デンマーク関連の皆さん、短い間でしたがご愛読ありがとうございました。

空港の出発ロビーに近い一時駐車場のサイン。駐車チケット発券機があるわけでも、管理(監視?)の職員がいるわけでもないが、皆マナーを守っている。そんなスマートさが好きだった。

6.25.2013

デンマーク滞在試験に抜け道あり

夏が来た。といってもここは北欧。そこまで暑くはないとは思うのだが、人々の肌の露出度に驚いてしまう。気持ちは分からなくもないのだが、目のやり場に困る。ついつい老婆心から「そんなに張り切って焼いたら40過ぎにはもうボロボロになってしまうわよ。」なんて、まぁ決して口には出せぬまま短い夏は終わってしまいそうだ。しかし、そうは問屋が卸さない。ワタシにはデンマーク滞在をかけたテストが待ち構えていたのだ。

ブログタイトルの「デンマーク滞在試験(って、さっき勝手にワタシがつけた)」とはDanskprøve A1 及び A2 を指し、語学学校終了時のテストであるPrøve i Dansk 1,2,3(以下PD1、PD2、PD3) とは異なるものである(嗚呼、面倒くさい)。 この Danskprøve A1 及び A2 等の語学試験は今まで日本を含むEU以外の先進国は対象外だったのだが、今回からEU加入国以外はもれなく対象となった(らしい)。ビザが発行されてから6ヵ月以内に受けろとのお達しである。

何だか偉そうだが年明け発表予定だったこのテストは、滞在試験内容がなかなか決まらず、3月になってようやく適用された曰く付きのテストである。ワタシの配偶者ビザは昨年の秋に下りたが、3月からカウントが開始されるので9月までに終わらせれば良いらしい。A1 に受かって晴れてデンマークでの滞在が可能と身代金の一部返金。更に A2 に受かれば更に返金で 無利子で預けていた50,000kr. の約半額が返って来るのだ。詳しくはパンフで。

大体の話は分かったが、テストのレベルってどのくらいなの?との疑問には以下の図が役に立つ(って、以前の図CEFRを加えただけだが)。このA1とA2はCEFRでのレベルのことだろう。テストサンプルでは易しく感じても、A2+を取り払ってA2をひとくくりにしたら難易度が上がった感じがするな。


簡単に書いてはみたが、ここは悪名高いデンマーク、この試験もタダではない。それぞれ2,438.40kr.(5月上旬のレートで42,500円)もかかる。実際の受験時間は30分と短いが、受験場所はコペンハーゲンのあるシェラン島の一か所のみ。しかも試験対応時間、1日3時間の超お役所対応。現在の政権は過去のそれと比べるとわりと寛大(というか、まだましというレベル)なのだが、さすが移民難国デンマーク、期待を裏切らない。

期待を裏切らないと言えば、特例。社会に規律あり、法律に抜け道ありとは良く言ったものだ(って、さっきワタシが作った)。このDanskprøveにもきちんと抜け道が用意されている。A2(若しくはA1もだが、A1のみに限定するメリットはない)は Prøve i Dansk 1を7段落中、下から数えて3を取れば良いのだ(デンマークの現在の採点は、-3 ・ 00 ・ 02 ・ 4 ・ 7 ・ 10 ・ 12 というように7段階に分けていて、そのうちの02で今回のテストはパスとされる。5と8は混同しやすいから使用しないとか、2は12にごまかされやすいから02と表記する等、スケール表記は正直分かりづらい。詳しい段落の説明はココ。勿論、PD3等のもっと上のレベルの試験でも可)。受験料は1,224kr.で、しかも(多分通っている)語学学校(か、近辺)で受験出来るのだ。試験時間によっては前日入りも避けられない距離から、ワタシがA2ではなくPD1を選択したのは当然の成り行きと言えよう。

PD1の試験の説明会では、受験者が皆、良く話せるような印象を受けた(Danskuddannelse 1 と言えど皆さんモジュール6の学生なので、当然と言えば当然なのだが)。 筆記は先生が問題の説明をしている間に全て回答出来るくらい簡単なのだが、口頭試験の準備はしておかないとヤバいかも、と同じくPD1を受けるクラスメートと話して帰途についたのを覚えている。交通費を含め、時間的、金銭的ハードルは下がったが、実際のレベルはA2よりも高い。“Loophole!!!”と、喜んでばかりいられないのが移民難国デンマークでの滞在試験の抜け道である。

筆記試験は3時間という中途半端な試験時間な為か、コーヒー、水、甘い物等を持ち込んでいたヒトが少なく、張り切って準備したワタシは恥ずかしい思いをした(朝が早かったんだってば)が、単に皆、試験慣れをしていないようだった。「問題用紙にCPR番号を書くだけで、まだテストは始めないように。」という試験官を無視して問題を解き始める受験生が多く、唖然とした。何故ならこれ等のインストラクションは全て聞き取りやすい音量で一語、一語区切られて明瞭に話されていたからだ。デンマークに来てしばらく経つ気がするが、そんなデンマーク語を聞いたのは初めての経験だった。何度も書くように指示されていたCPR番号を書かずに注意を受けている受験生もいて、改めて運営側の大変さを知った。最初の2セクションは試験そのものより、忍耐強い指導官を観察していた時間が長かった。最後のセクションでようやく、試験時間内でも終わればその場で退場出来るようになったので、その前の休憩時にあらかじめ荷物をまとめておき、チャッチャとライティングを済ませ会場を後にした。この筆記試験は(失礼だが)本当に簡単で、受験前はクラスメートとテストのことを"Intellectual Insult"と、揶揄していたのだが、指導官の言っているコトすらわからなくて、ひょっとしたら落ちるかもしれないヒトもいるんだなと考えると同時に、(ワタシが言えた口ではないが、語学の面で)この程度の移民を受け入れるデンマークのコトを考えると何とも言えない気持ちになった。

ところでPD1の採点配分だが、筆記1/3、口頭2/3で採点される。筆記で12を取ったワタシは総合得点でも既に合格ライン越えの4を取ったコトになり、口頭試験は試験を受けさえすれば合格であると先生が(バラして)教えてくれたので一分間の簡単なスピーチだけ用意してリラックスして口頭試験に臨めた(が、スケールは-3からあるので、正確には単純に12/3=4ではないと思ったり。でも先生は確かに4と言ったのだが・・・。まぁいいや)。

口頭試験は5年ほどデンマークに住んでいるという中国人と組むことになった。大きなミスもなく、パートナーの足を引っ張ることもなく、つつがなく終了したつもりが、スコアは10だった。 文の構造も語彙も素晴らしいが、発音がひどかったらしい。正直ここ1ヵ月は全くと言って良い程、努力も何もしていなかったので、ぐぅの音も出ないが、まぁいいや。次に生かそう。試験結果を移民局に送れば全てが終わる。

※授業料を肩代わりしているコミューンにとって、移民がPD1を合格して学校を終了しようとPD3を合格しようと課程を修了したことに変わりはない。あくまでA2の代用試験として受験するのみで、学校は続けるとの意向を示し、コミューンの了解を取らないと恐ろしいことになる。これ等PDのテストは年に2度しか行われなく、受験締切は筆記試験の2か月前。ワタシの場合は移民局から手紙が届いたその日に語学学校及びコミューンに問い合わせて、回答(ゴーザイン)を貰ったのが締切日だった。受験料は次の日まで待って貰えた。ビザの手続きですっかり心が擦り切れてしまい、これ以上移民局に一銭も払いたくないという方にお勧めです。

6.18.2013

デンマークの洗礼

徐々に増えつつある体脂肪のサポートもあってか、一層ツラの皮が厚くなって来た気がするデンマーク生活11ヵ月目。何だかんだやらかしても大して気にもせず、のらりくらりと過ごしている。例えばスーパーでのブドウの量り売り。てっきり一袋いくらで価格表示がされていると思い込むも、実はグラム当たりの単価で、レジで青くなった経験が何度もある。もう一つが自転車。こちらの女性は細いようでも結構目方がある。台風並みに風の強かった日にそんな彼女等が自転車を降りて橋を渡っているのを横目に自転車に乗っていたら、案の定強風に煽られて車道に吹き飛ばされそうになった。流石に命が惜しかったので踏ん張ったら、筋肉がつって3週間ほど何をしても痛かったとか、他にもいろいろあった気がするのだが、思い出せないのは確実に中年に近づいている証拠だろう。

これらの取るに足りない、自らの招いたミスは全くの自己責任にて処理出来るのだが、そうでないコトはまるで意思表示すら出来ぬまま洗礼式を行われる赤子ではないか。理不尽である。

その一つがビザ関連。冬に一段落した手続きは、残るはOpholdskortを受け取り、テストに受かるだけとなった。しかし、寝ても待ってもカードは届かない。すっかり忘れていた頃に、滞在延長手続きをされたという方のブログを読んでさすがにまずいと思い、移民局に確認してみた。案の定コミューンの手違いで処理が中断されたままだった。電話上で(コミューンがないがしろにしていた)情報を伝え、3週間程してようやくOpholdskortが手に入った。ウチのコミューンは出来る子だと思っていたのに、やれやれ、である。

もう一つの洗礼的事件と言えば、散髪だろう。 電話で予約後、デンマーク的には良心的な値段のネットで評判の良かったヘアサロンに向かったのだが、これもOpholdskortに勝らぬも劣らない勝負だった。

コーヒーを頂き、息子さんがアジア旅行中だというスタイリストと世間話(というか、やっぱりこちらはお客様、色々褒めてくれる)をした後に出来上がったのは、ザ・アジア人 in Europe だった。あんなに「内側を梳いて」とお願いしたのに、落武者が座敷童に変わっただけだった。 もちろん、前髪はオン・ザ・眉毛、パッツンである。

友達も出来、行動範囲も広がり、ある程度は何でも出来るようになったデンマーク生活11ヵ月目。そもそもデンマークに洗練された技術など求めてはいなかったが、まさか洗礼の返り討ちに遭うとは思わなかった。まだまだ修行が足りないようだ。


渡欧時に手放した Melitta のコーヒーポットの後釜発見!と、 Kræmmermarked で義母に買って頂いたのは、言われなければ全く気付かないであろうロイヤルコペンハーゲンのティーポット。注いだ時に蓋が落ちないデザインで、食洗機でガンガン洗ってもビクともしない程がっしりしているので、大雑把なワタシにぴったり。あまり使い道がなかった頂きモノの鍋敷きもようやく日の目を見るようになった。何だかんだ文句を言いつつも恩恵は享受しているデンマーク生活。割と気に入っている。

6.11.2013

応用不適合

学生時代は出来た友達に囲まれていたので、社会に出るまでワタシは同性から嫉妬されるという経験がなかった(というか、そもそもそんな対象でもないのだが)。確かに職場で資格手当を貰っていたが、資格取得の為、仕事帰りに学校へ通ったのはワタシだ(勿論自腹)。年上の職場の女性だったのだが、何度も会社が受験料を負担した試験の受験票(職種が違うので別の試験)をわざと会社に忘れたフリをして、週末のその試験をなかったことにして過ごした彼女に嫉妬されても、いやがらせをされても痛くも何ともなかった。逆に学ぶコトを拒否し、その場に居座り続けることの難しさを彼女自身が証明してくれたので、彼女には感謝しても足りないくらいだ。

何でそんな10年以上前の昔話を引っ張り出して来たかというと、最近似た体験をしたからだ。カルチャーショックもなく、語学学校も初級を飛ばし、のらりくらりと生活しているように見えるワタシが羨ましいらしい。職に就いていて自立したわけでもなく、旦那におんぶにだっこのワタシを何故・・・?

確かに寒冷地仕様のワタシにとってこの国の寒さは、「こんなに暖かい思いをしてすみません」という程「ぬくい」。寒いとあまり感じなかったのでブーツは数えるほどしか出番がなく、常にスニーカー。昨年の冬は屋内ではほぼ裸足で過ごした(室内履きは履いている)。暖房は8段階のうち1に設定すれば十分。こちらのレインコートが厚手の為、冬コートなしでやり過ごせるのでお財布にも優しいが、ワタシがこの国に住む上での先天的なアドバンテージなどこのくらいだろう。それ以外はワタシが身を削って学んで来たものである。デンマーク人と結婚した同じアジア嫁だが、ワタシ達の相違点はそれくらいである。比較するコト自体がそもそも間違いで、嫉妬などまるで異次元の言語で、何を言われているかすらわからない。

これから挙げる例と自分を結びつける気はないのだが、世の中は様々なジャンルでありとあらゆる成功本で溢れている。英才教育を受けたアスリートから、歴史的・社会的背景から外国語を学ぶ必要に迫らせて開花した翻訳家。はたまた30代から英語を本格的に学び本職にした女性や海外生活経験なしにTOEIC高得点を叩き出し続けている男性等、「ひょっとしてワタシにも出来るかも?」と思わず手に取って確かめたくなる程キャッチーな謳い文句で、アナタをレジへ誘うが、これ等のサクセスストーリーを自らに当てはめるのは大変難しい。

難しい要因の一つが環境の違い。例えばワタシが海外で英語に没頭し、日本語が不自由になって帰国してもワタシは梅子にはなれない。時代背景以外の要因全て同じだったとしても。性の差別なく学ぶ機会が21世紀の現代にはあるからである。女性にターゲットを絞ってビジネススクールを立ち上げたとしても、梅子ほどの業績は残せまい。先ほどから梅子、梅子と連呼しているのは、単に個人的趣味だが、名前云々のインパクトではなくて更地にお城を建てたのと、乱立された雑居ビルの一室を借りたのとを比べる感じだろうか。時代の違いだけではなく、例えば誰の意思で来ているのかわからないくらい遊びまくっている(ように見える)語学留学の学生と、他の分野で学位は持っていても戦争のせいで職につくことすら出来ず、食い扶持をつなぐ為に外国語を稼げるレベルまで学ばなければいけなかった学生も、先天的要因が同じだったとしても環境が違うだけでこんなにも差が出て来る。

もう一つの要因が内部的情報。ワタシは本が出来るまでの過程に詳しくないが、編集者さんのチェックが入ることもあるだろう。聞かせどころをつくるとか、膨らませるとか、こねるとか、寝かせるとか(パン作りみたいだな)。聞かせどころで「ここは正当性を示すためにも○○年度の統計を付けましょう」 なんて、編集者さんは言うだろうか?そんな盛り上がっている所で突然 * 印や脚注などつけられたら読んでいるこっちが冷めてしまう。聞かせどころの物語の山は語り手の印象とか感情とかがあってこそ盛り上がるのである。水を差すようで恐縮だが、それらのサクセスストーリーは外部的情報に乏しく、モノサシで測れない場合が多々あり、再現したくても出来ない。まぁ、そもそもそれらの山はステージを幾度か上がって行った一般人では語れないレベルのお話しだからこそエンターテイメント的要素も加わるのだろう。隣の家の佐藤君がTOEICで600点取った話など誰も聞きたくもないし、聞いたとて、面白くも何ともないのだ。そしてその分野の頂点に立った者だけが語る権利を与えられる透明なペンによって書かれたサクセスストーリーは後継者育成書でもなく、金太郎飴製造手引書でもないエンタメ本なのだ。

このように、サクセスストーリーを自分に応用することが難しいにも関わらず、ヒトはこれ等のストーリーを好む。共感しても、疑似体験をしても、それらの成功や栄光が自分のモノにはならないにも関わらず。確かに得られるヒントや試してみたいトリックもあるだろう。しかし、本一冊が成功を運んでくれるわけではないし、アナタが本の中で生きるわけでもない(この例え、怖い)。ヒトはヒト、自分は自分と受け入れ、進んでいくしかないのである。

だから仲良くして下さい。

 最初の頃捨てていなければもっとあった筈のペンの残骸。筆記用具に関して言いたいことは限りなくある

6.04.2013

Kaprice Metode

自慢にもならないが根気がない。洒落にならないほど続かない。ヒトは新しい習慣を身に付けるのに最低3週間必要だそうだが、ワタシなど勿論3週間どころか3日も持たない。3日坊主とは良く言ったものだが、残念なコトにワタシの持久力は2日しか続かない。ではその2日で何をするか、(一週間分-日曜日の)6日分こなせば良いのだ。1日3日♪と言うのは半分嘘(で半分ホント)。

世の中の語学のプロは中々手の内を見せてくれないので、馬鹿にされるのを承知で手応えが良かった進め方を記してみる。

先ず、「初めにゴールありき」。テキストを開く前に、何故その言語を学んでいるのか、何故そのテキストなのか、いつまでにそのテキストを終わらせたいのか、テキストを終えた時にはどうなって/何が出来るようになっているのかを想像してみる。そして、早くその状態の自分になりたいなという思いでテキストを始める。

「何故そのテキストなのか?」の問いには、「このテキストの筆者は自分がこれから費やす5倍の時間とお金をかけてこのテキストを作った筈だから、その思いを無駄にしない為に!」とか、「このテキストを終わらせない限り春は来ない」とか、「テキスト終了が白馬の王子様がやって来る最低要求ライン」とか、正直何でも良い。山があれば登ってしまうヒトには「そこにテキストがあるから!」という理由づけでも良い。単に上からやれと命令されてこなすのではなく、自主性が欲しいのだ。

「いつまでにそのテキストを終わらせたいのか?」人生思った程長くはない。締切を定めよう。例えばテキストは15課あるから月から金の週5で3週間かな。と、土日は休める余裕を持たせる。ただ、進みたい場合は進んでも良いが、テキストは3回繰り返すとか一度きりのお付き合いにならないように気を付ける。

最後の自己暗示的なものは好みが表れるトコロだが、てっとり早く説明すると「意識のレベルを変える」コト。残念な現実だが世界の億万長者が過ごす意識のレベルで大抵のヒトは一日を過ごしていないだろうし、それと同じように語学のプロやその上級レベルまで到達したヒトの意識のレベルでは大抵の学習者が学んでいる訳ではない。そこで想像してみるのだ。その目標とするレベルのプロがどのように語学をとらえているのか、出来るようになったらどんな日常が待っているのか。本棚にボロボロになるまで使われた辞書はないか、お気に入りのその言語で書かれた本がないか、DVDがないか。又はその言語が使用されている国で臆することなく旅していないか、働いていないか。それをしている時にどのように感じているか想像してみる。想像するだけタダだ。もっと貪欲に想像してみる。そしてその想像上の何でも可能だった世界の自分と、今の自分を比べてみる。「こんなコトしている場合じゃない!(早くあのレベルの自分にならなきゃ!)」とお尻を叩かれている感じがしたらシメたものだ(この「なったつもり」暗示は語学に限らず結構使える。例えば海外旅行から帰って来てスーツケースの荷ほどきをしなければいけないが、時差ボケでそんな気力もない。そこで知人の綺麗好きなA子だったらこの場合どうするだろう?と想像してみる。彼女ならするだろうな。ちょっとA子になったつもりで片づけてみようかな?と、置き換えるだけで荷ほどき出来てしまうから不思議だ。お試しあれ)。

そしてテキストAから始める。進む速度を1日一課と定めていないので、苦痛にならない程度に進む。テキストを始めたばかりは一日に何課でも進めるだろう。調子に乗ってテキストの半分くらいまで進んでしまうと2日目にはお腹いっぱいになっている筈だ。3日目に、そのテキストではもう食が進まないので、テキストBをつまみ食いしてみる。やはり面白そうな言語なのでテキストBを何かに取りつかれたようにこなす。3日目にはもう目にも入れたくないくらい詰め込んだので、テキストCを齧ってみる。期待を裏切らずこの言語は面白そうだ。やっぱり自分はこの言語は好きなんだとページをめくる。随時テキストA、Bで習ったことが出て来て「コレも知ってるぞ。アレも知ってるぞ。オマエのコトは全て御見通しだ!」と、変にテンションが上がる(この知的アドレナリンの大放出を経験するだけでも、これは試す価値があると思うのだが)。日曜日は休んでもOK(というか、休んだ方が翌週「駆り立て」られやすいので是非休むべきだ)。翌週は、またテキストAに戻り、先週の続きから進める。2日間全力投球した後は、テキストBで心機一転。更に2日後にはテキストCへと進む。

これは基礎中の基礎である文法を学ぶ時が最も適しているが、ある程度終えたらどのテキストにも応用出来る。易しめのテキストばかりやっていてはつまらない。背伸びして上級のテキストを齧ってみる。(当然歯が立たないので)「1ヵ月後に待ってろ」と捨て台詞を残し中級のテキストを手に取る。少しわかりづらいトコロが出て来たら初級のテキストで確認してみる。とあるテキストで句動詞に情熱を注いだ後は、接頭辞・接尾辞を洗いざらい調べても良いだろう。発音こそ色々テキストをこなして何でも耳に入れることだ。熟語やことわざはやはり毎日コツコツと確実に詰め込む方が良いだろう(って、それが出来れば苦労しないのだが)。これらは寝る前に数ページだけ読む等、負担にならない範囲で日常生活に溶け込ませるしかない。

個人的に面白かったのが、テキストをこなしている最中にお告げの如くマイブームがやって来たコト。昨年の夏は「不規則動詞こそ全て!」と、いきなり無味乾燥的な表を作り、140-160程しかないが不規則動詞を全て覚えようとしたり、「人生に彩りを!」と、形容詞や形容動詞ばかりに傾倒したり、「いやいや、オトナですもの数字の序数(first とか second とか)くらい書けないと!」といきなり一人筆記小テストが始まったりした。この不規則動詞と形容詞/形容動詞マイブームは自分でも笑ってしまう程規則的にやって来た。ちょっとは苦しかったのだろうか?周期をメモしておかなかったのが悔やまれる。

注意すべきポイントは、一日にテキストA、B、Cとこなすのではなく、テキスト一冊のみに集中するコト。テキストによってこなす順序が当然違うが、カバーする文法はほぼ同じ筈。テキスト3冊使用するわけだから、必然的に3度学んでいることになる。一度で3度美味しい。一日1課などと決めていなければ例えば15課 あたりのテキストなら10日程(2週間)で終わる筈である。それを3度繰り返せば一か月半で文法マスターだ。大学の1セメスターの半分くらいか?決して悪くない方法だと思うがどうだろう?


とある日の本棚。上段の約半数と、下段の2冊を除き、残りは借り物(だからタイトル面がテキストのみ)。ありがたや、ありがたや、図書館サマ。

ブログタイトルである Kaprice Metode の kaprice は kapriciøs(英:capricious)から引っ張ってきたつもりが(読み返してみると lunatic だった)、フラ語系、イタ語系で何だかお洒落だ。語学業界のトレ○シー・メソッドの如く、新しいコトバの学び方として一世を風靡・・・なんてまずしないだろうな。

5.28.2013

語彙は美味しい

そろそろテストに向けて使える語彙を確かにしないとな、と、去年の秋にこなしていたビジュアル辞典をひっぱり出してみる。というか、(勉強しなかったのを棚に上げて)モジュールテストで満点取れなかったのが悔しいので今度こそ頑張ってみる。そう言えば最近宿題すらしてないな・・・。まずそこから変えないとな・・・。まぁいいや。


左の Engelsk と書かれたかすかにユニオンジャックが見えるのは、更に小さくスウェーデン、デンマーク、ノルウェーの国旗が示すように、英語対スウェ語、デンマ語、ノル語の一度で4度美味しいビジュアル辞典である(出版元はスウェーデンっぽいがリンク先はデンマ)。北米英語にしか慣れ親しんで来なかったワタシにとって、イギリス英語は新鮮だ。おむつのコトを diaper ではなく nappy と呼ぶのを頭の片隅に記憶されていても、実際目にすると妙に感慨深い(まぁ、所詮おむつだが)。収められている数が数なだけに誤植も目につくが、スウェ語、デンマ語、ノル語を一度に見比べられるのは大きいし、楽しい。他にドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語と展開している為か、価格もフルカラーの割には抑えられていると思う(129kr.)が、英語バージョンはすぐに売れ切れるのか、めったに書店では見かけないのが玉にキズだ。

右の Visuelle Ordbog は デンマ語、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語と、「最後の2つはいらないかも・・・」と思ってしまう程欲張りな辞典である。こちらの方はレイアウトを諦めたのか、すっきりしている。感心するほど何でも載っていてページ数も1000越えだが、文字が小さくて見づらい難点もある。しかし、Chronology of Religions 、Languages of the World 、Periodic Table 、Scientific Symbols、Musical Notation と惜しげもなくあれもこれもと詰まっているので絶対安静で寝たきりにならなくても、常に手元に置いておきたくなる程魅力的な一冊だ。重いので腕力が付きそうだが筋トレにもなって一石二鳥。こちらも破格の 129kr. スーパーサマサマである。

収録が左が6,000語(とフレーズ)、右が32,000語と6,000のイラスト。去年の秋に左をくまなく(例えば一つの単語を an apple, the apple, apples, the apples と)拾って行ったら腱鞘炎になるかと思った。流石にクリケットやアメフト関連の語彙はいらないだろうとスポーツセクションを丸々飛ばしたら合計4,500語しか拾えなかったが、運動部並みの体力は付いたと思う。辞書は未だに重いが、部活後のご飯が美味しいように、語彙の素晴らしさを再発見出来たのは大きい。

語彙は美味しい。食べ過ぎて体脂肪が増える心配もないし、中毒性も(多分)ない。吸収率を高めるために詰め込む頻度と量に気を付ける以外、タブーな食べ合わせも、消化に悪い単語も、コレステロールの心配もない。素晴らしい!これは続けるしかあるまい。次のターゲットは抽象名詞だ。語彙も抽象名詞になってようやく大人の階段を登り始めた感がある。語彙の本当の美味しさはここから始まるのだ。

5.21.2013

外国語習得時における厨二病の発症とその対策について

ワタシにとってデンマ語は(運用能力まるっきし無視で住んだ順で)第4外国語。ノル語、英語、独語、デンマ語は、恥ずかしくてとても人に「出来る」とは言えるレベルではないが、少し齧れば何となくなりそうな言語である(注:あくまで他の言語と比べたらまだマシというレベルで。それに一定期間現地に住んでたしね)。そう、これ等全てゲルマンファミリー。他に色々浮気をしたがモノにならなく、結局ゲルマン言語に落ち着いたとも言える。浮気相手の一つがフランス語(以下、フラ語)。告白するが、ワタシはフラ語コンプレックス持ちである。そして挫折した逆恨みからか「克服してやろう」という野望はひとかけらもない。

英語を勉強していた頃、異国の雰囲気を醸し出していた単語は決まってフラ語だったので、会話でも相手が何か一言でもフラ語を発せようならフラ語を織り交ぜて返していた気がする。当時のレベルでvis-a-visとか、clichéとか、façadeとか、faux pasとか、liaisonとか(決して食べ物系やファッションの話をしないトコロはブレていない)だったろうか。この程度の語彙力で何を話したのかなんて、想像すらしたくないが、英語にフラ語を加えて話すことを「カッコイイコト」と信じていたなんて恥ずかし過ぎる。これは今となってはもう思い出すだけで自ら穴を掘って埋まってしまいたい程の暗黒史だが、もう10年以上も前のことだから時効としよう。独語を学習していた時にも同じ道を歩んだ(いや、もう「カッコイイコト」ではなかったが、フラ語っぽく発音するようには心掛けた)。運用能力は無くても、使う機会は無くても、何は無くても知っていたかったのだ。オープンにフラ語コンプレックスを持つワタシはこれを「外国語習得時における厨二病」と名付け、煽るコトなく、そして忘れるコトなく、付かず離れずの距離を保っている。

しかし、流石に「恥ずかしいコト」と認識していても、ワタシの「フラ語アンテナ」は正常運行で、フラ語系デンマ語を逃すことなくキャッチしている。 というか、社会に出るようになって(=学校が始まって)しばらく経った2月、3月がもうピークで、学校等、フラ語系デンマ語単語に出会ったその場では冷静に対応するも、帰宅後毎日のようにヒャッハー言っていた気がする。この年になって人様の前でのヒャッハーはさすがに恥ずかしい。今回は犠牲者を最低限に抑えたつもりだったが、可哀相だったのは我が家の北欧男子の彼だったのではないだろうか。 そう、この「外国語習得時における厨二病」は確認しなければ症状が収まらないのだ。

仕事から自転車で帰って来た彼に夕食も出さないまま質問攻めするワタシ:
「ねぇねぇ、デンマ語に○○って単語あるよねぇ?あれってフラ語っぽくない?」
「ねぇねぇ、○○って綴りの単語あるよね?あれ発音してみてよ。ね?フラ語っぽくない?」
「ねぇねぇ、-ageって接尾辞って、いかにもフラ語だよね~。reportage って絶対そうだよね~。」
「ねぇねぇ、知ってた?avis(新聞)ってフラ語だったんだよ?報道系って多いのかな?montage もそうだよね~。」
「ねぇねぇ、やっぱり-ment で終わる単語はフラ語系が多いよね。ねぇ、ねぇ、ねぇ・・・(結構続く、そして彼は依然空腹のまま)。」

嗚呼、書いていてますます彼が可哀相になってきた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。 アナタのお陰でワタシ症状が軽くなりました。罪滅ぼしのつもりで、以下にフラ語系デンマ語をあげておく。一人でも多くの厨二病患者が救われますように。

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英語でフラ語はデンマ語でもフラ語。覚えやすいな。そして出会ったフラ語系デンマ語が動詞だった時のヒャッハー感は異常。


写真はデンマ語の辞書アプリを買ってから全く出番のなくなったポケット辞書。語学学校のモジュールテスト時に使ってあげるよ。

5.14.2013

語学は楽しい

5年ぶりに日本に帰国した際、幸運にも仕事に恵まれたのだが、直属の上司はMBA保持者だった。彼も北米から帰国して間もなかったので、仕事の合間に内輪ネタでよく盛り上がったものだ。その一つが海外に住んでしまえば、いつの間にか外国語が身につくと言う迷信。ワタシが、「住むだけではまず身につかない。外国語に慣れた気になっているかもしれないが、実は狭い行動範囲の中で不自由を感じながら生活するのに慣れるだけだ。」といった内容を生意気にも述べると、涙を流しながら笑ってくれた。初の長期海外生活でMBAを取得した彼なりに思うところがあったのだろう。

「ガラスの家に住む者、石を投げるコト勿れ」という諺がデンマ語にもある以上、ここは我が身をつねってヒトの痛みを知っておくべきだろう。最近初心をすっかり忘れているので、語学についてあれこれ書いてみようと思う。

ワタシがデンマ語を学ぶに当たって心掛けたルールは3つ(これに「3つだけだ」と付け足すとジョブスっぽくてカッコいい)。

最初に、 ・気負いすぎないコト。
そして、  ・お金をかけるコト。
最後に、 ・時間をかけるコト。

最初の「気負いすぎないコト」は、簡単に言うと「愛着」。ワタシは独語で失敗したのだが、好きで、好きで、好きが故に出来ない自分との差に苦しむナルシスト的な愛で大変残念な結果になった。この言語への愛着は「(特別な場合を除き)言語が出来なくても死にはしない。ただ出来ると人生の色に深みが出る」程度でオッケー。ワタシはデンマ語なんて別に好きでも何でもないのだが、出来ればこちらでの人生はラクになるのは間違いないので大事に、大事に扱っている(まぁ、乱雑でも良いからもっと使えという意見もあるが)。

次の「お金をかけるコト」は、テキスト、辞書を揃えましょうというコト。図書館で借りたテキストをやり通したコトは一度しかないが、自分の財布を痛めて買ったテキストは大抵やり終えるのだから不思議だ。とにかく文法はテキストでキチンと習った方が習得も早い。そうは言っても自称文法アレルギー患者は結構いる。そんなヒトには「(参考書ではなく普通の)本を20冊くらい原書で読んで、自ら文法を見い出すか、テキストの力を借りて文法を学ぶか?」訊ねてみよう。テキストは優れている。先人の恩恵は進んで受けるべきである。

辞書も確実に母国語と概念を結びつけるのに必須だ。「周りに訊ねれば良いのでは?」との意見もあるだろう。これは語学学校、もしくはチューターなどには許されても、その他の場所での過度の使用はおすすめしない。周りの人間はアナタのお世話係ではない。嫌われないように気を付けよう。中級のレベル位になると、よく「ペーパーバックは辞書を引かずに読みましょう」 などとあるが、賛同出来ない。単語に躓く度に辞書を引く癖のあるヒトには有効だろうが、そのレベルになると文脈から知らない単語の意味を推測することも出来るだろうし、何となく読めた気になってもイザ日本語で説明しようとしても単語が思いつかないからだ(日本語で説明しなくても結構!ワタシは原書でのリズムや臨場感を味わいたいのだ。という方はご自由に。ただし数年後「臨場感」と言う単語が思い出せなくなってもワタシは責任を持ちません。嗚呼、あの頃のワタシに教えてあげたい)。せっかく推測したのだから、この単語が正しいかどうかの確認は是非行うべきだ。正しかったら喜びとなるし、それ以上に認識の擦り込みが出来、記憶が強固となるからだ。

最後に「時間をかけるコト」。誰にだって経験があるだろう。あの一夜漬けのテスト終わった後、何も憶えていなかった学生時代。覚えるのが早かったモノは忘れるのも早い。目指すはテスト前の一夜漬け的な短期的な記憶より長期的な記憶。何をどの頻度でどのレベルまでモノにするか。この辺の匙加減は、そのヒトの置かれた状況や目指すレベルやそこに到達するまでの時間的余裕等、ヒトそれぞれだろうけれど、一通りの文法を終えた後は語彙力アップの道が待っている。これは皆に当てはまる。何故ならヒトは知らない単語は文面上では読めるかもしれないが、聞き取れないからだ。

語学習得に近道などない。自らの手と目と耳を使い、マネて、アレンジして、使い込んで、モノにするしかない。自転車操縦に例えると、文法と語彙という二輪のガタガタな(というより四角くて全く前に進まない)車輪を漕ぎ出すことから始まる。ガタガタなりに漕ぎ続けると徐々にリスニングやスピーキングなど、始めは出来なかったコトを繰り返すことにより、それが少しずつ出来るようになって行く。苦手な部分を一つずつ克服していくうちに四角かった車輪が五角形に、六角形にと角度が鈍くなり、徐々に走りやすくなる。確実に語彙を増やし、句動詞を覚え、イディオムを使えるようにしていくうちに更に角が取れ、車輪は七角形になり、八角形になって行く。得手不得手はヒトそれぞれだから、踏むステップも異なる。あるヒトは発音を矯正しなければいけないかもしれないし、シャドーイングで四苦八苦するかもしれない。ビジネスレベルのライティングよりエッセイが苦手というヒトもいるだろう。語学以前に「論理的に考える」という基礎から始めなくてはいけなくて、もう失うプライドがない程の挫折感を味わうかもしれない(えっ?ワタシだけ?)しかし弱点をクリアして行くうちにようやく車輪が円形に近付き、自転車がスムーズに進むようになる。颯爽と風を感じ周りの風景を楽しみながらサイクリングロードを走るように、社会・文化的背景をとらえた上で、ユーモアを交えながら笑い、言語を操っている状況を楽しめるようになる日が必ず来る。

そしてこのカスタマイズされた語学と言う自転車は一生アナタのモノだ。会社を立ち上げて波に乗せて売ることは出来ても、自転車だけを売ることは出来ない。運が良ければ自転車を付加価値としてアナタ自身が売れるだろう。事業が失敗して会社を畳まなくならなくなることはあっても、誰もアナタの自転車を奪うことは出来ない。くだらない学校の相対評価や理不尽な職場の業務査定なども存在しない。メインテナンスした自転車の調子が良いように、やればやるだけ自分に返ってくる。スポーツとよく類似されるがアスリートのように選手生命が短い訳でもない。一生現役でいられるのだ。

うーん、何だか黒田節っぽくなってしまった。手元に先生の著書がないので確認出来ないのが残念なトコロだが、語学は楽しいのだ。



そうそう、究極のルールに以下があるが、これは杉田先生っぽくて好きだ。

・学ぶコトを決して止めないコト。




5.07.2013

情熱の辞書

(※4月中旬に書いた記事です。学校は再開されました。)

未だ語学学校が再開されずヒマだ。学校の友達と「もうデンマ語なんて忘れちゃったわよね~」などとおしゃべりしながら結婚式が間近に迫っている友達の式場の飾り作りを手伝ったり、何故か当日使うリムジンの試し乗りで街を一周して貰ったりと、キャッキャ、ウフフとデンマークでの春の朗らかな日々を楽しんでいる。そりゃデンマ語も衰退の一途を辿るわけだ。しかし、まず落ちるコトはなかろうとタカを括っているワタシのデンマーク滞在をかけたテストは、学校が再開云々関係なしにやって来るので、そろそろ目の前に人参でもぶら下げなければ・・・。

そんなこんなで、 ワタシの真っ赤な辞書コレクションを公開してやる気を出してみる(果たして出るのか?)。調べてはいないので全くの個人が受けた印象だが、デンマークで辞書を扱っている大手出版社は西のGYLDENDALSか東のPOLITIKENSかという程しか選択肢がない。

写真左の布張りの辞書4冊はGYLDENDALS。左下のデンマ語→独語、独語→デンマ語は通常 300kr. するところを型落ちで各100kr. で手に入れた。このサイズは最もスタンダードなタイプで、対英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、オランダ語、ロシア語、ラテンと種類も多く、改訂もよくされている。その後ポケット辞書を入手したので全くと言って出番がないが、たまに開いてはニヤニヤしている。

ちょっと色の違う右の上下はスーパー(で売られている)辞書。これ等はPOLITIKENSのものでそれぞれCD付で100kr.(確かセールだったが、通常店頭価格も150kr.程度と高くはない)。右下の英語⇔デンマ語はポケット辞書ではカバーしきれない所を補おうと思いその場で買ったが、語彙数に余り差がなかった。 まぁまぁ見やすい(が、ポケット辞典と同じく不規則動詞の変化形などは載っていない)。右上のデンデン辞書はその辺がしっかり載っていて、名詞の性とか、動詞の変化形とか、句動詞とかきちんと収められている(しかし巻末に不規則動詞一覧表掲載とかいう優しさはない)。

そして左上は最近入手した凶器的な重さを誇るデンマ語→英語(ページ数、驚きの2610頁)。定価ではまず購買意欲という単語さえ忘れてしまいそうな金額なのだが、1/8以下の破格の150kr. でも売れ残り、今にも送り返されそうになっていた中から一冊を救出した(これがもし、左下と同じスタンダードなサイズのデンマ語⇔英語ならもっと売れていたと思う)。この辞典に出会った日のワタシの財布には、150kr.きっかりしか入っていなかったので運命だったとすら思っている。最少単位のコインである50ウーレまで綺麗に使い切ったのはさすがに気持ち良かった。更に後日無事に英語→デンマ語も150kr.で手に入れた。定価が1,000kr. なのでとってもお買い得に見えてくる。辞書は正直高いので常に売ります上げますサイトのDBAでチェックしていたけれど、良い状態の物に巡り合えず、これ等全て新品。大事に大事に使おうと思っている。

番外編の子供用辞典+α

左からGYLDENDALSの子供用辞典。これも型落ちで 60kr. 改訂版は200kr. なので巡り合えたのはラッキーだった。全てデンマ語だがイラスト満載。写真左下のドラゴンが凧を上げて遊んでいる様子が描かれている挿絵など、絶妙だった。ちなみにドラゴンも凧もdrage(-en)だ。

その隣がPOLITIKENSの子供用英語→デンマ語、デンマ語→英語辞書。CD付。去年の夏、家具を探している時に古本扱いの30kr.で購入。 状態が良く、ホクホクしていたが、書店でもセールで60kr.で投げ売りされていた。定価はいくらなんだろう?とにかくラッキー。

黄色と黒のCD辞書は同じくPOLITIKENS。めったに使わないが、写真上のスーパーで買える辞書の付録には太刀打ちできない語彙を持つ。確か50kr.だったが、定価は700kr.だった気がする。まず、買えないな。定価では。

唯一定価で買ったのが、右端のポケット辞書。100kr.。ポケット辞典はPOLITIKENSからも出ている。価格も同じ。他にもっと簡素な辞書がたまにスーパーで50kr.位で売られているが、出版社はわからない。

他に携帯に入れているアプリを入れたら軽く総額1,000kr.は超えた。さて、取り戻すかな。

4.30.2013

語学学校についてワタシが話そう

予想以上に長引いたロックアウトが政府の介入によりようやく終了した。自宅待機型春休み中にすっかり語学学校が恋しくなっていたので、語学学校について書いてみようと思う。デンマークの語学学校のシステムを説明するのに一番てっとり早いのは下記の表だろう。元のデータが見ずらかったので書き直し、外国人向けデンマ語学習教材についていたCEFRとのレベル比較も加筆してみた(Wikiにデンマ語版がなかっただけで、勿論B1以上もあるだろう。ところでNHKって良い仕事するな)。


http://www.kbh-sprogcenter.dk/laer_dansk/undervisningsmodellen

一番右のCERFは置いておいて、語学学校は Danskuddannelse の1、2、3に分けられ、それぞれ最終試験の Prøve i Dansk を筆記、口頭共受かって語学学校終了となる(らしい)。少し歪んだ階段箪笥と言った感じか。ワタシの理解が正しければDanskuddannelse 1(以下D1)はアルファベットから始まるレベル。母国で十分な教育を受けられなかったとか、全く違うアルファベットを使っていたとか。てっとり早く言うと難民枠。D2は会話中心と 聞くが、D3との違いが良くわからない。D3は母国で高等教育を終えたヒト対象とあり、永住権の申請に必要なのがPrøve i Dansk3(以下PD3)なのだから、それよりは少し易しめなのだろう。語学学校の説明はココ。 モジュールを終え、次のモジュールに進む為のテストがモジュールテストで、そのレベルにあった試験方法で判定されるらしい(とあるモジュールテストはリスニング、ライティング、スピーキングと揃っているのが、別のレベルではライティングのみとか)。ちなみにモジュールが上に進むにつれて欄が長くなっているのは、ワタシのミスではなく、より時間がかかるという意味(だろう。餅は餅屋。語学学校の説明はココ)。PD3を好成績で合格すれば、大学準備コースに進めるらしい。

前置きが長くなったが、語学学校が始まる直前のクリスマス休暇中に夏に購入するも放置していたテキスト丸々2冊とやり残していた1冊を何とか詰め込んだお陰か、レベルチェックの結果、何とかD3のモジュール3からワタシの語学学校生活が始まった(それもこれも食事の準備の必要もなく、上げ膳据え膳で食う、寝る、学ぶと自由にさせてくれたお義母サマのお陰です。ありがとうございます)。このデンマ語能力が測られるレベルチェックだが、デンマークに1年間の高校交換留学した人や、高校数学教師としてスウェーデンに3年働いていた人でD3モジュール4という例を聞いた。ちなみに、学校にもよると思うがこのクラスの呼び方は「D3モジュール4」を「D3M4」と略したり、モジュール4が4.1と4.2に分かれていたりする。

ワタシのクラスメートの平均年齢はワタシが押し上げていても20代半ばである。ほとんどが学校を終えたばかりで、頭がお勉強モードのままというのもあるだろう、割とレスポンスが早く、授業を一緒に受けていて気持ちが良い。クラスには同じくモジュール3から始めるも、クラスに付いて行けず苦しそうにしていたクラスメートがいたが、2人共モジュールを下げて、新しいクラスでのびのび学んでいる。 対局的にいっぱい、いっぱいなのは割と非ヨーロピアン。小さいお子さんが2人もいるロシアの貴婦人(旦那さんもロシア人)は「デンマ語なんて、この授業でしか学ぶ時間が無いわよ~」と言いつつもクラスに付いて行っているツワモノ だ。ある意味凄い。

そしてこの語学学校は条件を満たしていたら3年間無料だ(しかし、3年以内に最終試験に合格 しないと、結構なお値段を自腹で払ってでも合格しなければいけないのだ)。クラスメートの中には語学学校に通えるのが今年いっぱいという生徒もいて志気が高い。 先生も何とか11月のPD3のテストに間に合うようにとビシバシと容赦ない(愛だぜ、愛、愛)。そう、これらPD1、PD2、PD3の最終試験は年に2度しか行われないのだ。長過ぎたロックアウト。5月に筆記、6月に口頭試験を受ける筈だったモジュール5の学生が気の毒で仕方がない。ワタシ達も4月にモジュールテストを受けるハズだったのだが、来月上旬に延期された。

とにかくクラスメートには恵まれている。やっぱり出来るクラスなんだと気付かされたのは、他のクラスから生徒が編入して来たから。「前のクラスも悪くなかったのだけど、何となくリラックスし過ぎていて・・・。もう少しピリっとした空気で学びたいのよね~。」とは、彼女の弁。3人入って来たが、そのうち既に2人はモジュール3のテストをパスしていた。何故?それもこれもワタシ達生徒にテストに落ちるなとのプレッシャーなのか・・・。語学学校について一通り書いてはみたがクラス別けのシステムはよくわからない。まぁ、ようやくわかった頃には語学学校を終えているんだろう。

4.23.2013

語彙力5歳

嗚呼、本屋が遠い。物理的な距離ではなくて心理的に。そもそも本が高くて、高くて(それにロクに読めもしない紙にお金を払うのが悔しくて)。いや、これでもデンマークでは5年程前から大型スーパーで本が売られるようになり、本は安くなって来ているらしい(それでもロクに読めもしない紙にお金を払うのが悔しくて、悔しくて)

物価の高い北欧ではあるが、こちらでは型落ち(?)でたまに版が古くなりそうな本が破格で買えるのだ。しかし何故か本屋に行く度にそれらに出会ってしまった結果、毎回買い求めている感があって「本屋に行く=何か買ってしまう」という数式が出来てしまい、行かなければ買わないだろうという、新・財布の紐の締め方というか、そこまでして締めなくてもというか、何とも悲しい本屋との関係(まぁ、最近は会計カウンターでわざとクリスマスビールが一本いくらだったかを思い出して、罪悪感を払拭するという技を覚えた。人間とは進化する生き物よのう)。


まぁ、そんな型落ち本で、「はじめての子供用辞書」なるものに出会ったのは去年の秋ぐらい。対象年齢が5歳から8歳と謳われている本を3周程したけど、ボキャブラ、ハンパなかったわ。何て言うか、TOEIC対策本のカバーではターゲットスコアを高く揚げておいて、中身は実はそうでもなかったの逆バージョン。わざと対象年齢を低くしておいて、保護者に危機感を与え、買わせようという作戦か?いや、多分5歳児のアタマの中はワンダーランドで、それこそクレヨンがぎっしり詰まっていて、子どもにしか見えない何かで出来ているとか、大人がなくしてしまった何かが大切にしまわれているというか。とにかく凄いな、5歳児。

もっと弁解させて貰えば、日本に生息していない動植物は全滅だろうなとか、子供の遊び関係は無理だなとか、予測はしていた。そもそもヒトの持つボキャブラなどは文化・社会的背景によって違うだろうし、もっと言えば育ってきた家庭環境にすら左右されるからだ(と、ここで猫飼いでなかったワタシが「嬉しくてノドを鳴らす」という単語を知らなかったコトをようやくカミングアウト出来る訳だが)。 違いを薀蓄述べていてもこちらはオトナ。今まで培って来た知恵とテクニックでちゃっちゃとクリアして次のステージ(せめて小学卒業くらい)に進まねばならぬオトナ故の事情がある。幸い動詞の3割は既知、次の3割も曖昧だけど、知らなくはない。残りが未知。形容詞もそこそこ覚えていたのでターゲットは名詞となった(ってか、この辞書、ほとんどが名詞)。この一冊で約2,700語カバー。5歳児(しつこい?)ボキャブラ、なんとかカバー。このふわふわと集まっていた語彙一式をムギューっと押し詰めて、脳の回転速度を下げないで(ってか、上がって!)、働く容量も増えていたらいいな。

英語と似ているとは言っても分布体系が全く異なる。顕著なのは高くそびえるSの壁。そう、デンマ語はドSのコトバ。


5歳児ワンダーランドの内訳は以下。正直スマートフォンに辞書が入っているワタシは5歳児でなくて良かったとすら思うの。

《動物》ヒヒ、《鳥》アオガラ、小児湿疹、《植物》黄花節分草、《植物》ヒョウタン、《動物》アナグマ、花綱、《昆虫》マルハナバチ、クサリヘビ、《イスラム教》〔礼拝をつかさどる〕指導者、小型のそり、投げ縄、《植物》カラマツ(材)、《鳥》シジュウカラ、《動物》テン。テンって以外と可愛い。《料理》レムラード(ソース)に至っては、結構な物をお召し上がりなのですねって感じだ(いや、ケチャップと同じ容器に入ってるのだが)。侮れないな、5歳児。

4.16.2013

プラマイゼロ

日本を離れ、早9ヵ月。ワタシの日本語が既にヤバい。いや、ワタシの日本語の拙さなど、このブログが十分に立証しているのだが、これは文章を書くのが苦手だからだとばかり思っていたが、そうではなかったらしい。

話を遡る事1ヵ月。3月のとある週末に欧州に住む日本の友人が遊びに来てくれた。 子供かっ?と突っ込みたくなるほどこの日を指折り数えて待っていたのは、日本人に会うのが久しぶりだったから。大使館の受付の方との会話を除き、マンツーマンでネイティブと日本語を話すなんて、渡欧してから初めてのことだった。今までも日本人の少ない地域に住んでいたコトはあっても、全く話さなかったのはせいぜい1,2か月ではなかっただろうか。

5年ぶりに帰国した時も挙動不審まではいかなかった(と願いたい)が、会話のキャッチボールが成り立たなかった残念な経験がある。例えるなら投げられたボールを取り損ねて、その辺に転がっているボールをワタワタとあわてて捕ってようやく投げるというか。敢えて説明するなら、無意識に出て来る英語をひっこめつつ、かと言って日本語が出てこない間に発せられそうになる何とも表記しがたい「グゥヌウェ」を抑えようと無言で四苦八苦しつつ、日本語を探す感じ。当然相手の方にこちらの不自然な顔の変化に気付かれてしまい、二人の間に流れる微妙な空気。嗚呼、日本人同士の日本語での意思疎通なのにと、情けないどころか自分の存在を消してしまいたかったあの数秒。二度と繰り返したくない(ってか、もう「グゥヌウェ」が完成するくらい何度もやらかしている訳だけど)。

しかし8ヵ月も話さないコトなんて今までなかったので多分話せなくなっているだろうなぁと思い、事前に日本語の本など読んで本番に備えていたつもりだったが、まさかこんなに話せなくなっていたなんて思ってもみなかった。

まず単語が出てこない。「あー、アレ、何て言ったっけ」と、会話がスムーズに進まない。そして文末まで待てない。友人が「~なんて、思わないんですけどね。」とか、変化球を投げている訳ではないのだが、とにかく脳が最後まで頑張ってくれない。キミにデンマ人化を頼んだ記憶はないのだが、まさか自分がSOV文型に泣かされるとは思ってもみなかった。そして、お決まりの脳内言語間移動。普段のデン⇔英に英⇔日が加わっただけで、こんなに辛いとは。しかもこちらに来るまでは英⇔日の方が経験豊富だったのに。反射神経だけは良い方だと思っていたのに。きぃぃぃ。


最近、家族間の会話は発言出来なくても何となく流れにはついて行けるとか、道行く人々の会話が少し拾えるようになって来たとか、デンマ語の上達ぶりに自惚 れていたのだが、そのデンマ語発達はその他の言語の後退によって成り立っていることを身を以て体験した渡欧9ヵ月目。春の日差しが眩しい。

4.09.2013

我が家のスポンジ

おお、この脳内容量確保用ブログとしてデンマークにあること、こちらに来てから考えていたこと等を吐き出しているブログポストも今回で50を数えた。お陰様で軽くなった頭ではくだらないアイディアが浮かんでは消えて行き、たまに情報通過過程でネットにひっかかったネタが3,4常時調理され、新しいネタが入り込んだらそれが最後、古いアイディアは完成度に関わらず自動更新によってワタシの手を離れて行く。

嗚呼、こんなワタシが吐き出すコトなど、例えば食器洗い洗浄機でプラスチックのタッパーを洗う時には水力で吹き飛んでしまわないよう、設置すべきだとか。芽キャベツだけは強力で、うっかりお皿に残っていたまま設置しようものなら、まぁ大変。数時間後にはカピカピに、しかし色鮮やかに密着したお皿とご対面することになるとか。まず、トリビアにすらならない(ME、新居の洗濯機おめでとう)。

こんなくだらないブログなのに訪れて下さってありがとうございます。という訳で、普段のお礼を兼ねて、前回のお約束通り我が家の彼こと北欧男子について書こう。というか、家事分担について。

語学学校が始まるまでの半年間は、ゴミ出しは彼の仕事。裁縫、炊事、洗濯、掃除等と、しつけ以外のさしすせそはビザ下り待ちのワタシの担当だった。しかし、学校が始まってから徐々に彼が活躍する場面が増えてきた。 何のことはない、宿題こそ少ないけれど学校に拘束される時間があることには変わらず、段々と口数が少なくなっていくワタシから何等かのシグナルが発せられたらしい。彼がそれをキャッチして行動に出始めたからである。ワタシ達は全くというほど、まずケンカをしないが、この要因としては以下が挙げられる。

・根本的な価値観がほぼ同じであること。
・それ以上に彼の精神年齢が高いこと。
・そして彼のアタマが良いこと。

彼を見ていると「アタマの良いヒトとはこういうヒトを言うのか!」と、関心することがしばしある。オンとオフの切換や、フローまでの持って行き方。そして特筆すべきは彼の危険回避能力の高さだろうか。上手いくらいにここというポイントで救いの手を差し伸べてくるのである。夕食は一緒に作る事が多いのだが、手順とかもわりとすんなり覚えてくれる。そして、我が家では作り手が変わっても、食卓に上る献立はあまり変わらない(おっと、レパートリーが少ないのはここだけの秘密だ)。あと丸く掃除機をかけるワタシに対し、彼は隅々までかける。パンケーキも彼が作る方が美味しい。

まるでスポンジが水を吸うようにぐんぐんと家事を学んでいる彼。夕食を作り終えた時には片付いているという状態まであと一歩だが、そんな彼が圧力鍋を操る日も遠くはない筈。 楽しみだな。

 イースター休暇で出されたケーキ。実はこの他にケーキはもう一つあった。どれだけケーキ好きなんだか。

4.02.2013

プラマイ 5:1

結婚して以来、抱き続けて来た疑問がある。かなりくだらないのだが、「妻はスキンケアをいつ行うべきか?」というものだ。世の中の奥様方はパック姿を旦那様にさらしてらっしゃるのか、旦那様のカラスの業推にも負けずにパパっと済ませるのか。それとも旦那様が出勤されてから至福の時を楽しむのか?いずれにせよ早く解決策を見い出さないと、シワが出来そうで怖い。

スキンケア以外で結婚してから出来なくなったコトに、本を読めなくなったコトが挙げられる。金銭的余裕云々の問題ではなく、ぶっ通しで読み抜く時間が持てなくなったからだ。ご飯を適当に済ませ、明け方までウツラウツラページをめくることがどんなに贅沢なコトだったことか!このままもっとつまらない人間になってしまうのは、シワが出来るよりも怖い。

そんなワタシを察してか、とある週末、彼が家を空けてくれた。むふふとベッドに本を持ち込み快楽を貪るワタシ。移住準備で読めなくなっていた本の続きを追うが、何だか内容があまり喜ばしくない。せっかくの一人の時間なのに、もう本の選択を誤ったとしか思えない。思いっきり掻い摘んで書くと、

・そもそも人間はプラスよりマイナスに気付きやすい。
・そしてカップル間でのプラスマイナスは5:1だ。プラマイゼロなど、長期的な関係を築きたければ考えないコトだ。

端折り過ぎて何言ってるの?って感じだが、例えば夫婦同士では相手がしてくれたことのプラスより、してくれなかったことやマイナスとして現れたことの方が気付きやすい。そして、何か1つのマイナス(失敗等)を回復するためには最低プラス事項を5つをしなければいけないのだ。何故格言に「他人を非難する事なかれ」的なものが多いのか、何故(何かネガティブなコトをされた)相手はそのことについてネチネチ言うのかがようやくわかった気がする。お皿洗いを1回忘れたら、そのマイナスを相殺するために必要な回数が最低5回だなんて、なんて罰ゲーム?とも思ったのだが、そんなマイナスばかり気づきやすい関係の中で、離婚割合が半分だなんて、みんな頑張ってるのね?と思ってしまうワタシは根本的な所で何かが抜けているんだろう。ちなみに(地域によって差があるのだろうが)この日本語での「ネジが足りていない」は英、独、デンでも「ネジが緩い」で通じる。素敵だ。

っていうか、このブログポストは、そんなプラマイ 5:1を全く気付かせることなく結婚生活を送らせてくれている彼について少し書こうかと思ったのだけど、ご飯の用意が出来たのか、彼が呼んでいるので、また次回。

イースター限定のビール。今日も平和だ。

3.26.2013

Bit-O-Honey and Lakrids

安心して欲しい。ブログタイトルのBit-O-Honey というキャンディーバーとラクリスだが、決して一緒に食べているわけではない。

何故わざわざググってまでそんな古いキャンディーを引っ張り出して来たかというと、大学の心理学の味覚と記憶の授業でこれを扱っていたから。確か出ていたのは中年女性の例で、若かりし頃付き合っていた恋人の記憶とBit-O-Honeyが結びついていた。残念ながらその恋人とは別れてしまったが、十数年ぶりに、Bit-O-Honeyを食べたらその恋人のことを思い出して、現時点では幸せな結婚生活を送っているのにもかかわらず、思わず泣いてしまったとかなんとか。だから何なの?って話だが、そんな教科書そのまんまの体験を最近ワタシがしたのだ。

未だ日本人に圧倒的な不評を得ているいラクリスだが、もともと北欧経験者のワタシはラクリスが食べられるし、ある程度の愛着すらある(そしてラクリスティーは美味しい)。基本的にお菓子は買わないことにしていたので、自ら進んで食べるコトはなかったが、ついに禁断の箱を開けてしまったというか、リンゴを食べてしまったというか、買ってしまったんですよ。ラクリスを。しかも北欧N国で食べていたのと同じものを。

もう、あの頃のやるせない気持ちとか、感情とか、出来事とか、青い空とか、お気に入りの靴とか、習慣とかが、わっと溢れて来て、処理に戸惑ったけど、一番困ったのはそんなノスタルジックな感情やセンチメンタルな記憶や甘酸っぱい過去や淡い思い出ではなく、「あの頃の方が勉強していた」という記憶。いや、漠然とはわかっていたんだけどね。多分、気付きたくなかったんだよね。うん。


もうすぐ(労働交渉決裂でいつまで続くかわからない)春休みだから、大人しくデンマ語でもすることにするわ。



親族間の集まりでの一コマ。中央のかろうじて7時から11時の間で残っているのがラクリスケーキ。
それにしても、どうしてトリガーがブラウンチーズではなくてラクリスだったんだろ?

3.19.2013

そこに壁はあるか?

語学学校が始まって早くも2か月が経とうとしている。お弁当持参の為に一部の食材の消費が飛躍的に増え、週一で購入する黒パンの塊(3日でなくなる)やらレバーペーストやらチーズやらがほぼワタシ一人の胃袋に消える現実をどう受け止めて良いものか。半透明人間冬眠生活から目覚めた脳が活動を開始したと信じたい。

真偽の程は定かではないが、昔のロシアの街にある地図にはその地図のある場所を示す「← You Are Here」 の表示がなく、地図の意味をなさないとの逸話があった。デンマーク語の海に浮かんだ梯子に過ぎないのだろうが、語学学校という枠組みの中で「アナタ(のレベル)はここですよ」と位置付けされて、与えられるまま教材をこなし、導かれるままついて行くのはある意味大変ラクだ。周りに同じレベルで学習している仲間がいるというのも大きいだろうが、やはり餅は餅屋。プロに習うのは一人で疑問を感じつつ学んでいた頃とはかなり違う手応えがある。

学校が始まる前に行われたレベルチェックでは会話・ディクテーション・穴埋め・メールの返信のライティングがなされた。「アナタ、話せないだけで読み書き、聴くのは出来るのね」との喜んで良いかわからない試験官の感想に言葉が詰まった。うーん。正直にデンマ語を話したのはその日が2度目だったが、テスト内容はもっと難しくても良かった旨を伝えると今度は試験官が困っていた(うっ。そう言えばドイツでデンマ語を取っていたから、嘘をついていたことになる。正確には来デン半年で2度目だったか。何れにせよ、試験官さん、ごめんなさい。ちなみにそれまで唯一デンマ語を話した経験は、お婆サマから頂いた結婚祝いのお礼。いかにワタシが温い生活をしているかがわかる)。

何とか初級からのスタートは免れて始まった語学学校。どんなインターナショナルなクラスに当たるんだろう?と期待に胸を膨らませて向かった教室にはヨーロッパ人しかいなかった。(デンマークには全く関係ないけれど)アファーマティブ・アクションって何だったっけ?と思うくらい真っ白。春の陽気に浮かれていないで紫外線対策しておかないとな、と思うくらい真っ白。とにかく笑っちゃうくらい真っ白。聞けばほとんどが在デン2年半から5年のベテランさん達。皆さん一体、何故ここに?

しかし授業が始まると、そこまで恐れることはなさそうな感触。「なんだ、みんな話せないぢゃんw」と油断していたら、皆さんアルファベートの国のご出身だけあって、流石に読める・書ける。早速ビシバシしごかれた。しかし大人しいフリをしていられたのも数日だけで、他のクラスメートが答えられない時に発言していたら、徐々に助け舟出し隊としての頭角を現し、今ではお笑い要員としての地位を確立した(だって、黙っていたら先生も困るし、何か勿体なくない?)。在デンの先人のブログを読んでは「どんな怖いクラスメートがいるんだろう?」と戦々恐々としていたのだが、そんなクラスに一人はいそうな面倒くさい人物とはワタシのコトだったかもしれない。まぁ、いいや。その後、しばらく休んでいたというクラスメートがポツリポツリと姿を現した。どうやらアジア人がワタシ一人という訳ではなさそうだ。やれやれ。

よく耳にする東洋・西洋言語間に現れる壁とやらにはまだ出くわしていない。いや、多分既に現れていても認めたくないだけだろう。まぁ、そのうち直面する筈なので奢ることなく、そして恐れることなく準備だけはしておこうと思う。

 そうだよね。コトバが出来なかったら薬も買えないしね。写真は点字付頭痛薬の箱。
見えない壁について薀蓄語るより、見える優しさにほっこりして取説でボキャブラでも増やすコトにするわ。

3.12.2013

期待しない力

先日の春の陽気から一転して、一気に「暖かくない日常」に戻った。何のことはない、暖かかった頃にわずかに点けておいた暖房を消したのだが、それををすっかり忘れていた為、ダブルで寒く感じただけである。スイッチひとつで快適な生活環境が得られることはありがたい。それはさて置き、思わず感心した出来事があった。配管工が工事を終わらせてくれたのだ。しかもデンマークとしては驚異的なスピードで。



しばらく留守にすると水の跡がくっきり残る、きちんと水が止まらない蛇口に彼が業を煮やしたのが火曜日の夜。ワタシ達の住んでいるアパートは賃貸なので、修理は大家の了解がいる(勿論経費の負担も大家だ)。大家に連絡したのが水曜日。木曜日か金曜日に工事の業者が来るという。在デン8ヵ月のワタシが受けた印象では、この手の業者さん達も朝は早い。一件目のアポが8時とか普通なのだろうが、流石にそこまで早いのは勘弁との旨を伝えておいた。

出社を遅らせて彼がスタンバイしていたが、全く連絡がないまま木曜が過ぎた。金曜日、「今日もダメだったね」と彼が仕事に出かけてから業者がひょっこり現れた。確かに午前中とは言え、予定を軽く1時間オーバーだ。だからと言って、帰って貰う訳にはいかない。全く心の準備が出来ていなかったワタシが持ち合わせた全てのデンマ語を駆使して状況を説明し、こちらの要望を何とか伝えた。職業云々でひとくくりにするのは嫌だが、彼等に英語が通じないことが多い(だからこそ彼に待機して貰っていたのだが)。

そんなワタシの心配をよそに、業者さんは嬉しいサプライズと共に作業を終わらせてくれた。


サプライズ(其の壱): 
玄関で靴を脱いでくれた。 そんなコトをしてくれた業者はキミが初めてだよ!

サプライズ(其の弐): 
業者さん: 「今は手持ちの部品がないから30分後にまた来るよ」 → ホントに戻って来た(以前、帰ったまま戻ってこない業者がいたな・・・)

サプライズ(其の参): 
ワタシ: 「遅くても○○時には家を出る必要があるんだけど」 → 時間余裕で作業終了!


作業終了後の水回りは当然掃除がなされた形跡が全くなくて、ぐちゃぐちゃだったし、かけておいたハンドタオルも使われて思いっきり汚れていたけど、終わり良ければ全て良し。取り換えた古い蛇口も業者さんが持って行ってくれたではないか(ウチには取り外された後再利用の予定など全くない古い換気扇がありましてね・・・)!



無駄なストレスを消費することなく快適なデンマーク生活を過ごすのに必要なのは期待しない力だと密かに思う。

クリスマスの飾りのパターン。日頃大雑把に見える彼等だけど、単に出来ないフリをしているだけだと思う。論点はそこではなくて、“Power of Low Expectations”を「期待しない力」としか訳せないワタシの日本語の方が問題だ。嗚呼、どうしよう。

3.05.2013

先入観が遮る、新・東洋の味

3月に入り、日照時間が更にぐんと長くなった気がする。先週の金曜日などはサングラスが必要な程で、バルコニーでデンマーク人がバーベキューをしててもおかしくなかったくらいだ。春到来である。最近外に出るのが億劫になって来たので、これを機に少しでも状況が改善すると良いのだが。買い物と言えば、環境保護の為に受け取りを拒否するデンマーク人が多いスーパーのチラシを、未だ継続して取っている。渡欧直後のようなスーパーで驚くようなコトは全くなくなってしまい、新鮮さに欠けるのかスーパーでの買い物も楽しくなくなってしまったとぼやいていたのだが、先日、久しぶりに考えさせれる商品に出くわした。


いやいや、思いっきりご飯にかかってますやん。SWEETって何?SWEETって?甘いの?そして「bazar」は「bazar tilbud」ではなく「bizarre」の誤植ではないか?はたまた、この「sauce for rice*」の「*」は実はこの商品はドッキリであることの表れで、チラシ最終頁に一足早いエープリルフールである小さい説明があるのでは?とか、色々考えが巡ってこのページを開いてからしばらく動けなかった。醤油の記載こそなくても、黒い亀甲印を目にしただけで、醤油と認識してしまうこの日本人脳(例外としてTERIYAKI ソースがあるが、これはこれで市民権を得つつある)。先入観は時として新しい情報を受け入れる足枷となる。

ここで一歩繰り下げてワタシのキッ○ーマン持論について説明する必要がある。ワタシにとっての初めての外国=北欧某国Nで、ワタシの行動範囲内で買える日本食は醤油しかなかった。それがキッ○ーマンであったかどうか定かではないが、中華レストランのテーブルに備わっていたのは赤いキャップのそれであった。 即ちキッ○ーマンのある場所にはa)日本商社マンが歩き商品を広めた、b)中華レストランの進出、c)駐在サマが持ち込んだ食文化、d)日本で醤油に恋してしまった現地人のUターンの現れ、etc. 過去にその場に日本に関わったヒトがいたという教科書には出てこない涙と感動に溢れた歴史がある筈だ。

書いてみると全く大したことないキッ○ーマン持論(多分アメリカでお豆腐を広めた話と混同している模様)だが、海外に住む日本人にとって、醤油とはキッ○ーマンを指す。そして正統派キッ○ーマンは他のそれよりも高い。どうせ同じ醤油だろうと試しに海外商品を買ったら全く美味しくなくて悔しい思いをした元貧乏学生としては、醤油について色々書きたいことはある。

まぁ、形が旅行であれ何であれ、外国で経験した日本食物語は皆、何かしらあるのではないだろうか?西に何にでもオリーブオイルをかける(もこみち氏)イタリア人がいるとすれば、東は醤油の日本人。 ハワイのパンケーキショップではパンパン、と手を叩くとウェイターが醤油を持って来るという(嘘です)。

醤油、醤油としつこく書いてきたが、日本人にとってお米こそが聖域であり、外国人には踏み込んで貰いたくない領域なのだろう。だからこそカレーでもなく、丼もののつゆでもない醤油に似た物体をがご飯にかけられるのを目撃した瞬間、日頃眠っている何かが目を覚まし警告するのだ。

自ら発せられる警告を打ち破り、先入観を克服した向こう側には新しい東洋の味が待っている(かもしれない)。

2.25.2013

運転免許証二重所得(其の後)

年明けから歩んできた運転免許証の二重所持への道。途中コミューン職員による強力な洗礼を受けつつも3度もコミューンに足を運んだ甲斐あってか、先週日本の免許証が郵送にて返却され、先日ようやくこちらの免許証も届いた(大使館の皆様、その節は誠にありがとうございました)。こちらの免許の有効期限は15年。運転するしないにしても顔写真付の身分証明書に変わりはない。ありがたいことである。

申請してから受け取るまでの所要時間は6週間。以外と早かった。はなから期待せず、最低限のレベルで物事を予測し、それ以上の成果が上がった時に実感する「幸せ」。デンマーク流である。


「あ、小さい」と思ってしまったのはこちらの運転免許証が送られて来た封筒。日本の官製はがきより少し小さい。よく紛失しなかったなと感心しつつ目に留まったのはBの文字。Bってプライオリティー(翌日配達)ではなくてエコノミー(2,3日)のB。手数料を払っているのだからせめて書留くらいにはして欲しかった(って、期待してなかったけどさ)。

2.19.2013

慣れない

もっと寒い所に住んでいたコトがあるし、もっと高緯度に住んでいたコトもあるし、雪もばっちこいだからと、割とデンマークへの移住も深く考えず来てしまった。そして暖かい家族に支えられ、のほほんと暮らしていたらあっと言う間に半年が過ぎた。カルチャーショックが件の菊ぐらいで、ここまで来てしまったのは、ヨーロッパで暮らしていた下地があったからだが、敢えて突き詰めるなら社会との接点がなかったからという一言に尽きる。 語学学校が始まるまでの冬前半は外に出る必要もなく、始まってからも早起きを強制させられている訳でもないので、相変わらずユルい生活を送らせて貰っている。これが持ち家で雪かき必須とか、朝早くから家を出る必要があったのなら話は変わっていた筈だ。

そんな生温い日々の中、こちらのメディアにも親しまず、情報に疎い生活を送っていても、こちらでの夢を見るようになった。英語圏でも約半年で、現地の夢を見るようになったので、時間的には差はないのだが、対勉強量で比較すると喜んで良いのか分からない。まぁ、ワタシの夢の中での登場人物は一切言葉を発せず、意思疎通はテレパシーで行っているようなので、潜在意識でのワタシのデンマ語レベルは限りなく低いことには変わりないだろうが、脳も変化に対応してくれているようなのがちょっと嬉しかった。これまでのビザ等あらゆる手続きを含めても、一番辛かった経験が自転車での坂登りというくらいだから、デンマークでの暮らしもあながち悪くはないと思うし、悪いなと思いつつも頂いたプレゼントを交換してしまうので、それなりに適応しているのかもしれないが、それでも慣れないコトはある。

例えば住所。 近くだからと言ってストリート名を番地で分けるだけで、同じストリート名が幾つもあるのには慣れない。イメージ的には「非」という漢字の右編の縦線がメインストリートで、小脇に走っている横線がサブストリート。そのサブストリートが1-20、21-40、41-60と分かれている感じ。次のストリートの標識が見えないほど離れている距離でこれをやられると、結構凹む。学習能力がないので当然何度か泣かされた。

そして自転車。ドイツを離れてしばらくしても何故か全力で漕いでしまう癖はなかなか直らず恥ずかしい思いをしていたのだが、こちらでは自転車専用通路の中でも大人しく右側を走っていればサイクルファナティックに野次を飛ばされることもないので、自分のペースで走っている(のはうっかり左側を走ろうものなら罵倒されるから。逆走した日には何が待っているのだろう?)。そしてペダル式ブレーキにも手信号にも慣れたが、信号待ち時等に右側に重心をかけて待ち、左足から漕ぎ出すのが出来ない。これが自動車で発進が出来なければ田舎道ででも練習しようとなるのだろうが、いかんせん自転車。なかなか癖が抜けない。夏までには・・・。

あとはケーキ類の甘い物。 コーヒーなしでは決して流し込めない。もはや糖分の塊としか思えないのは何故だろう。ここまで来ると慣れないというより相容れないと言った方が近い。



先日の来客時に用意した物。夕方4時頃にお腹に収めたらその日はもう何も入らなかった。ちなみにアイシングが取れているのはベーカリーから直帰出来ず、ワタシがあちこち連れまわしたから(計算通り、取れてくれた)。ショーケースの向こう側のケーキは4割増くらい美味しく見える。

2.12.2013

薔薇と菊と日本人

「お義父さんはお花をくれなかった」、「お義父さんはお花をくれなかった」、「お義父さんはお花をくれなかった」というお義母サマの長年による(小言)英才教育により、義妹は婚約者にお花を求めるように育ち、彼は女には花が必要なのだということを何となくは理解するようになった。(義父の名誉の為に敢えて書かないが、そう言われても仕方ないかな?と思えてしまう回数なのだ。嗚呼、名誉挽回ならず。お義父さん、残念。)

結婚してから生花が切れたことはないというのはさすがに誇張し過ぎだが、それでもお花をプレゼントしてくれることは多いと思う。とは言っても贈られるのは日本のようにフラワーショップでアレンジされた繊細で美しい花束には程遠く、スーパーの一角に売られているワンコインで買えそうな商品だ(決して文句をつけている訳ではなくて、日本のように様々な種類が取り扱われている訳ではないけれど、花との距離が近いというか、割と手軽に買える)。「どんな花が好きなの?」と聞かれてもスーパーでワタシの好きなトルコ桔梗は見かけない。植物名にも疎いので適当に薔薇と答えたワタシを待っていたのは切られただけのフレッシュな薔薇の束。文字通り、旨い話には棘がある事を身を以て知った新婚当初であった。

前置きが長くなったが、先日ある出来事があった。彼が買って来てくれた花が菊だったのである。

長年あっちへフラフラ、こっちへフラフラと自由(しかし残念)に育ち、参列も過去10年はしていないワタシですら衝撃が走った。こんなに残念でも日本人だったのだ。その場は笑顔で取り繕い、後にこっそりググったが、彼には何も話していない。彼の好きな花は菊なのである(そして花の持ちが良いので実はワタシも好きなのだ)。

いつか機会があれば伝えようかと思うが、来日時のワタシの家族へのプレゼントが菊の花でないことをこっそり祈るのみである。



 こんな所にも、菊。
しかし、この記事を書く直前まで「菊と刀 」がハル・ライシャワーによるものと誤って記憶していたワタシはやはり残念だった。

2.05.2013

嗚呼筆記用具(其の弐)

そういえば最近、冬の間寒さで固まっていた自転車のギアチェンジが再び出来るようになった。春が一歩、また一歩と身近に感じられるようになるとペンがない、筆記用具が高いと文句を垂れていたのが遥か昔の出来事に感じられる。

新学期が始まる頃の本屋ではノートの類がきれいさっぱり売れ切れていて、在庫切れ。見事にすっからかんになった棚の前で、どこか東の国で起こったであろう出来事に、しかもこの2012年に先進国であろうデンマークで体験出来るなんてと半ば関心すらしていたが、渡欧半年も過ぎると予防線を張るというか、変に「期待しないこと」が上手くなり、日本スタンダードな商品に巡り合えるとラッキーと思えるようにまでなった。まぁそんな機会はまずないのだが、ショックを受ける回数は減った。人間の自己防衛機能とは良く出来ている。

以後、未だに高いとは思いつつも仕方なく それなりの4穴のノートを見つけるも、穴の開け方が雑なのか、刃が鈍いのか、スムーズにページがめくれたことはなく、割と頻繁にストレスにさらされている。ワタシは次のページに進みたいだけなのに。そしてあれこれ試しているつもりだが、ペン探しの旅は終わらない。こちらで安く手に入るペンは0.6mm、0.7mmと若干太めで漢字なんて書けない(そもそも書く機会もないのだが)。日本からこちらに持ってきた細めのペンも一本、また一本となくなって行くが、買い足したペンでアンダーラインを引こうなら無残にも裏ページが滲む。ワタシの辞書の紙質が悪いと言えばそうなのだが、全くをもってデンマーク語を勉強しようと思えないのだ(おっ、上手くまとまった)。

しかし年明けのスーパーでどう見ても フリクションとしか思えない “Magic” Erasable Pen なるものを発見。これは荒れた北欧文房具砂漠に咲く一輪の花とばかりに買い求めたが、しばらくキャップを外しておくだけでインクが出づらくなったりと、言いたいことはかなりある(が、悔しいかな、一番のお気に入りだ)。こちらの筆記用具に慣れるまで、思ったより時間がかかりそうだ。


今まで試したA4は罫線が28と34の二種。あらかじめ穴をほぐしページをめくることをようやく覚えた2013年の春。最近はチェーン店のBog&ideの商品(で諦めている)に落ち着いている。

1.29.2013

そういうヒトにワタシはなりたい



デンマークでは法律がわりと頻繁に変わる。夏に自転車を入手したが、その直後にした事と言えば自転車用のライトを購入した事だった。ドイツ同様皆さん結構なスピードで走り抜けるので、こんなライトで大丈夫か?と内心やきもきしていたが、去る秋に法律が変わり、写真上のライト(2度続けて後部用の赤いライトは盗まれた。くっ。)では対応出来なくなった。一時的な手間は増えたがこの動きには同意する。今では駐車場に止める度に取り外せる型の、より強力なライトを付けている。

そして年が明けて自動車免許に関する法律も一部変わった。 ワタシが属するコミューンは割と出来る職員が揃い、こちらで結婚の手続きをした際はバッサバッサと書類を読み倒し、先月の住所登録もすんなり済ませてくれたのですっかり信用していたが、今回はその自動車免許で苦戦させられた。

こちらの医師による健康診断書と共に日本で作成した免許証の翻訳と手数料(と確かパスポート)のみでデンマークでの仮の免許証は発行されたのだが、中々二重所得が可能な事を理解して貰えない。こちらも大使館による証明なしの免許証の翻訳を提出したので、なかなか強気に出れない。

やむなく帰宅後、大使館に問い合わせ、その旨が説明された書簡を入手。そして二重所得が認められる条項が記されたJustitsmisterietのページを見つけ出し、そのプリントアウトと共に後日トライしても「新しい法律では如何なる国の出身者でも二重所得は認められない。」の一点張り。その日はまだ法律が施行される前なので粘ったら、その職員が警察署で受講したという法律改正に関する資料の一部を見せてくれた。まさかオリエンテーションをしてまで周知徹底させているとは思わなかったのでフェイントを食らい、思わず納得してしまった(と言うか、コペンハーゲンに保管されている免許証を取り戻す場合、必要になる期日の3週間前にその申請をしなければいけないのだ。デンマークは九州と同等の面積と記憶していたのだが、九州ってそんなに大きかったっけ?かの王国の自治体と警察の間には思った以上の距離があるらしく、色々脳内で情報処理をしていたら自分の番が終わっていたと言った方が正しい)。

しかし、その新しい法律とやらをどの方向から眺めても二重所得に関する変更箇所が見つけられないし、書類を依頼したのが施行前と言えど、大使館ががその法律改正について知らない筈がない。再度大使館に問い合わせ、コミューンに向かう。2度目に対応してくれた自信に満ち溢れた職員は見当たらず、優しそうな年配の職員に対応して貰ったが結果は同じ(ってか、どう思い返しても2度目の職員がやり残して放置された書類を片付けていただけに見えたんですけど・・・)。最終的には窓口で(事前に了解を頂いていた)大使館に電話をかけ、直接職員に説明して貰うという情けない結果となった(大使館の皆様、その節はご尽力賜り誠にありがとうございました)。大使館の職員の方はコミューンの職員にわかって貰えたから多分大丈夫であろうとのお言葉を頂いたが、不安は拭いきれない。まぁ、いいや。なるようになるだろう。

それにしても、あの2度目に対応してくれた職員の溢れんばかりの自信はどこからやって来るのだろうか?あの自信と共に生きる人生とは、一体どのようなものなのか。あの自信をほんの少しだけ分けて貰えないだろうか。他人に被害を与えない条件に限り、正直なりたい。

スーパーで見かけたデンマーク版ハロウィーン(fastelavn)の衣装の1つ、Red Ninja。 一体、何を翻訳して「なる」になったのか?その単語が何だったのか気になって仕方がない。翌日、彼に見せようと試みるも既に完売だった。Red Ninja、何になろうが個人の自由だ。なりたいようになるが良い。ただし、あのコミューンの職員だけはだめだ。

1.22.2013

半透明人間から失業者へ

日本を離れて早半年。ようやく語学学校へ通えるようになり、ワタシの半透明人間生活が終了した。失業者になったとも言える。これからは語学学校でいっぱいいっぱいになるだろうから、その前にその経緯を記しておきたい。



8月末にコペンハーゲンの移民局へ書類を提出してから2ヵ月経とうという頃、移民局から一通の手紙が届いた。「(メンゴ、メンゴなどとは言わない。そもそも彼等は絶対に謝らない) アナタ達が提出した書類を受け取りました。これから手続きを開始します。」と。 はっ?この2ヵ月何をしてたの?と突っ込むも、その後に「提出後3ヵ月以内に処理されるシステムを選択していますので、今後1ヵ月で処理が完了する予定です。」と続いたので受け流した。ここは悪名高きデンマーク。不要なストレスを消費することもなかろう。

驚くべきことにその手紙を受け取った直後に銀行関連の書類が届いた。日付をチェックすると上記の書類が発行された翌日である。やる気になれば出来る子なのか、移民局。2ヵ月書類が眠っていたセクションの増員を願ってやまない。

彼が銀行に駆け寄り書類を手配。ワタシの身代金の書類を提出したのが11月上旬。その後2、3週間程で2年の滞在の許可が下りた。確かに申請してから3ヵ月以内と言えばその通りだ。お祝いにとGeorg Jensenを買ったのもこの頃だ。

その翌日にコミューンへ行き、住所登録。今度はイエローカードと呼ばれるCPR番号の記されたカードを待つことになる。ワタシはデンマークで結婚したので名字を変えたかったのだが、職員に相談して、CPRカードを待つことにした。これ以上移民局の負担を増やしてはいけない。

イエローカードが届いたのはクリスマス休暇直前の仕事納めの日。早速コミューンで名前を変えようも、その場では出来なかった。どんなに宗教離れが進んでもここはプロテスタントの国デンマーク。名字変更は教会で、なのだ。コミューンでワタシ達が所属する教会を調べて貰い、彼が電話で照会するとあと30分程で閉まってしまうとのこと。昼休みに付き合ってくれた彼も仕事に戻らなければいけない。が、年明けまで手続きを待つのも避けたい。急遽とんぼ返りでワタシが自転車で教会へ向かい、書類を受け取ることになった。

ところでデンマークはパンケーキの国と例えられるほど平地が続くのだが、その教会は丘の上にある。初めての土地と限られた時間と心臓破りの坂にワタシのデンマーク初の試練があった(どれだけ緩い生活をしていたのだか?)。漕いでも漕いでも先が見えない坂に「パンケーキの国だなんてメルヘンチックなこと抜かした奴出て来い。」と毒づきながらペダルを踏み続けること数分。無事に書類を受け取ったがその日の夕方は乾いた咳が止まらなかった。身に覚えがある咳である。有酸素運動ではなく、無理な運動をし続けた後に出るその咳は、7月に入国して以来である。3本目のフライトが若干遅れて、着陸した時には4本目のフライトの搭乗手続きが既に始まっていたのである。欧州某巨大空港のターミナルの端から端まで荷物を抱えて走ったあの日を忘れるなとのコトだろうか?機内持ち込みのスーツケース(+α)と共に動く歩道を5本以上走って滑り込みセーフで機内に乗り込んだ経験なんて言われなくても絶対忘れないのだけれど。

名字変更に必要な所定の手数料を振り込み、記入した書類は彼に届けて貰った。痛みも幸せも分かち合うものである。クリスマス休暇中にも関わらず、教会から別件で電話があった。その際に聞いた所、教会から直接コミューンに連絡が行き、名字が変わったようだった。年明けに義母宅から帰って来たら、教会からのワタシの名字変更完了の書類が届いていた。

Opholdskort も新しい名字のイエローカードもまだ届いてはいないけれど、イエローカードのお陰で物事がスムーズに進むことが増えた。まだまだ踏まなければいけないステップがあるが、働くことを許されず、学校へも通えない(いや、お金を払えば行けるのだが)、半透明人間としての半軟禁状態の半年が何事もなく過ぎたことに感謝しつつ、次へコマを進めたいと思う。

1.15.2013

黄色に潜む危険、それはセール


日頃からアメリカ刑事ドラマなど見過ぎている為か、黄色と黒のテープは立ち入り禁止の意ととらえ、クワバラクワバラと距離を置いている。だからショッピングセンターが黄色と黒のテープで埋め尽くされていても、何か事故があったに違いないと、敢えてそれに触れないデンマーク人の大人の対応に関心すらしていたのだ。

しかし、どのお店でもこの黄色攻撃は凄まじく、春はもうすぐとばかりにうきうきしているワタシの脳ですら、これはイースター関連ではないとようやく気付くようになった(ってか、遅いよ)。年明けからこんな感じで至る所に吊るされている店内のバナーはイースターではなく、実はセールを表すものだったのだ。

嗚呼、この間プレゼント交換時のレジに貼られていたあのテープも「台が壊れているから気を付けて」の意ではなく、天井から垂れ下がっているのも、「雨漏り注意」ではなく、「ここにセール品がありますよ」の意だったのか。何とも、黄色はこの国ではセールを表すものらしい。

まぁ、何かしら物価の高い北欧でのセールは魅力的で、お財布の紐に気を付けての意味では間違ってはいないのだけど。



1.09.2013

プレゼント交換

冬至を過ぎてしばらく経つが、確実に日が長くなっていて、何だか嬉しい。長く暗い冬を忘れる為にクリスマスを盛大に祝うのか、その煩わしいクリスマスストレスにより冬鬱になるのかは分からないけれど。

そんなデンマークで初めて迎えたクリスマスも、ツリーの処分とプレゼントの交換に伴いようやく終了した。長かった。

ツリーは紙のリサイクル日に合わせ、さっくり処分。Wish Listのリクエスト以外でサプライズで頂いたプレゼントはキッチンガジェット2点とガラス製のキャンドルホルダーに変わった。そして差額の5kr.まで戻って来た。無常にも交換してしまってすみません、お義母サマ。大事に使わせて頂きます。

後は春の訪れを待つのみ。



こちらはクリスマスを過ぎても現役。首なしサンタと河童スノーマン。キャンドルホルダーは2個に増えた。