7.30.2013

2013 夏の試み : 猛暑に玉砕 スカンジナビア語制覇




初めてのイギリスの夏は暑かった。ウィンブルドンをリアルタイムで観戦出来るなんて!と、出かけても暑いだけだし、連日テレビの前で一日の大半を過ごした。アンディ・マリー の優勝ゲームも一部始終観たが、翌日の再放送も全て観た程の浮かれっぷりだった。連日30度近くの真夏日でワタシの頭が溶けただけとの見解もあるが・・・。

で、件のスウェーデン語だが、たった一日でギブアップした。前日にデンマ語を読み倒し、一日目で折り返し地点の第10課まで進んだのは良いが、そこから一向に食指が湧かなくなってしまったのである。テキストのせいにしてしまえば、スウェ語テキストの第10課の一部(それも一文)がデンマ語のそれと違っていたからである。そんな些細なことでへそを曲げなくても、と今なら思えるのだが、とにかく暑さに弱いワタシである。全くやる気にもならなかった・・・。涼しくなったら再開しよう。きっと・・・。

7.23.2013

2013 夏の試み: 当たって砕けろ スカンジナビア語制覇

ワタシには長年温め続けていた挑戦があった。しかし、挑戦と言えるほどワクワクもしないし、野望と言えるほどギラギラしていなく、疑問とするには明快過ぎるし、第一全く利益にも何にもなりそうになく、十年以上一定の距離を置かれ優先順位の最下位にあったモヤモヤを何と表現して良いか、実は良くわからない。まぁ、わかるヒトには分かるし、縁のないヒトには全く面白くも何ともない話である。ただ、こうやってコトバで表現しようとすると過去の様々な感情が溢れては消えて行き、いかにその過去が自分に与えた影響の大きさに漠然とするのだ。うーん。まぁ、いいや。

ワタシが抱き続けて来たモヤモヤは、ノル語、デンマ語、スウェ語の1つを学んでしまえば、残りの2つを学ぶのがどのくらい容易であるか?というコト(ここでほっこりを狙って「北欧語」としてしまうとアイスランドやフィンランドも加わってしまうので「スカンジナビア語」としなければいけないらしい。面倒くさいな)。 実際スウェーデンに近い所に住んでいたワタシはスウェーデン人同士のちょっとした会話なら分かったし(例えば「寒くないの?上着は?」「カバンの中。」←しかし、この程度)、ちらほらと原書でアンデルセンに目を通し、読んだつもりでいた。出来て当然という環境にいた為か、これ等3ヶ国語はもはや「方言」とすら思っていたのは傍若無人っぷりが甚だしかった10代の終わりだ。

あれから十数年の時が流れ、ワタシもデンマークに移り、別の角度からこのモヤモヤに取り組む時が来た。きっかけになったのはこの方のブログ。 残念ながら更新は途絶えているが、何度読み返しても面白い。ワタシがこの方のような向上心を持ち合わせていないのだが、背中を押されたような気になりテキストを買い集め始めたのが去年の秋。母親からの荷物と共に送って貰ったのが今年の冬である。デンマークを離れデンマ語も一休止。時は満ちた。

初めて学ぶスウェ語からやっつけて行こうと思う。


7.15.2013

物欲に屈した妄想

日本を離れ、もうすぐ一年が過ぎようとしている。すっかり飛行機に弱くなった為か、一時帰国の意思も予定も全くないのだが、もし一年前の日本にいたワタシに戻れるなら何を持って来ていたか考えてみたい。

・文房具
 嗚呼、筆記用具でもさんざん書いたが、これほど Made in Japan の文房具を欲するとは予想すらしなかった。フラットになるホッチキス、引っ張ってもブレないテープカッター、薄くて使いやすいバインダー、きちんと穴があく穴あけ機(って普通の要求なんだけど)、使い勝手の良い関数電卓(いや、これは単に慣れの問題だが)、ちょっとしたノート、滲まないペン、インクが漏れないペン、乾燥しないペン、インクが途切れないペン、ペン、ペン、ペン・・・。ずっと書いていて手が疲れないペンなんて、高望みはしていないんだけどな・・・。

・最低限の調理器具
 日本食はあれば食べるけど、無くても平気というワタシでさえ、無くて困ったもの。それは菜箸。
 たまにはうどんでも食べるかな、と探しても探してもなかった面棒。(パン作りの)ガス抜き面棒でうどんを伸ばすことになるとは・・・。餃子の皮は試していない・・・。
 ご飯茶碗やお味噌汁のお椀なんて、持ってきても多分使わないんだろうけれど、うどんやラーメンのどんぶりは欲しいな。手に入ったが最後、麺しか食べなくなったりして・・・。
 ちょっとした小皿や取り皿(まぁ、セットで買った食器しかない我が家が悪いのだけど)。
 茶漉し付きの急須/ティーポット

・食品/調味料
 たまに食べたくなるのがお蕎麦やうどん。乾麺をもっと持って来れば良かった。
 粉末だしとか、こだわりがあるならお茶とか。

・書籍
  あれもこれも捨てず/売らずに全部持って来れば良かった。鍵編みの入門書とか、手芸の本とか。デンマーク語の文法本とか。

コンタクトはこっちに来る前にまとめて購入しておいたし、面の皮が厚いのか化粧品はどこのでも良い。基礎化粧はこっちの方がオーガニックの敷居が低いのか安く買えるみたいだから、今後の課題はクレンジングオイルを探すくらいか。流行にも疎いので服にこだわりがあるわけでもない。それなのにどうして日本から送った荷物があんなに多かったのかは未だ謎だ。

7.09.2013

Moving to UK with EEA Family Permit

デンマークに嫁いで11ヵ月。今度はイギリスに引っ越すことになった。

喉元を過ぎれば何とかやらで、デンマークでのビザ申請がどれだけ大変だったかなどすっかり忘れ、苦虫を噛み潰したような顔で手配を始めた。国際結婚とは切っては切れない関係にあるビザの手続きだが、前回の申請からたった9ヵ月。ロマンスの自爆装置と呼んでいるその手続きを、何が悲しくてこんなにもすぐ繰り返さなければならないのか?しかも季節は初夏、場所は北欧。暗く長い冬が終わり、1年で一番良いと言われている季節にデンマークを去るのだ。夏至祭(サンクトハンス・アフテン)は今年も逃した。

不満を漏らしていても仕方がないので Home Office の申請書とガイドラインをプリントアウトして読み込む。オンライン申請し、コペンハーゲンにある施設でバイオメトリックを予約、がっつりビデオを撮られながらインタビューを受け、指紋も取られ、送付用封筒と、DHLの返信用伝票を貰った。ワタシ達がUK Border Agency(以下 UKBA) 送った書類は以下の通り。インデックスは当然付けた。

1.    プリントアウトした申請書とバイオメトリック時に貰ったDHLの返信用伝票
2.    現行パスポートのコピーと原本
3.     パスポートサイズのカラー写真
4.    滞在許可証のコピー(と、原本は送るなと注意書きされた書類)
5.    期限切れの1つ前のパスポートのコピー原本
6.    婚姻証明書(英語を含む外国語版)のコピーと原本  
7.    配偶者による証明(手紙)
8.    配偶者の雇用主からの手紙
9.    配偶者のパスポートのコピー(コペンの公証人役場で取って貰えた)
10.  配偶者のIDカードのコピー
11.  申請料(はかからない筈なので、とりあえず返信郵送料の領収書)
12.  配偶者の残高証明(のプロによる英訳)

書類を送ってから散々後悔したのだが、会社の法務からもそんな指示はなかったのでお付き合いや婚姻を証明する結婚式の写真等は一切添付しなかった。銀行の証明は前もって弁護士のチェックを受けていたし、何かあったら連絡は弁護士にね、と、記せたのは大きかった。バイオメトリックを受けてギリギリ3日以内の金曜の午後に発送。「週明けには届くよね?」と、一安心したのだが、この時はこれから悪夢が始まるとは夢にも思わなかった。
 
そう、配達途中に荷物が紛失したのである。

通常、パスポートを手放すなど、海外生活を送っている人間には考えられないコトだが、大英帝国サマの仰るのだから、間違いないだろうと信じたワタシ達が間 抜けだったのか?(多分そうだ)。指定された封筒に(追跡可能な)指定された方法で送ったのだが、イギリスに着いた途端、足跡が途絶えたのだ。

双方の郵便局に連絡を取り、弁護士にもUKBAに取り合って貰ったが、何の進展もないまま刻々と時間だけが過ぎて行った。アパート契約を解消し、次の入居者の目途も立っていたので、早く次の手を取らなければ間に合わない。荷物が完全に紛失したとの最悪の場合を想定して、彼のパスポートの認証されたコピーを地元の公証役場で取り、コミューンで婚姻証明書を再発行してもらった。そしてワタシのパスポートを再発行するのに必要な戸籍抄本(都心に限らず、全国どこでも海外から手続き出来るようにして貰いたいのだが)を実家に依頼をしたその日に、ようやく荷物が配達されたとの確認が取れた(って、追跡して判明しただけで、謝罪は一切なし)。

興味深かったのが彼の対応で、「確かに事態は深刻だが、紛失したのは所詮、物だ。人間が事故に遭ったとか、重傷を負ったわけではないのだから、最悪の事態ではない。」と言ったコトだった。「なくなったのはアナタ(彼)のパスポートではない!」とつっこみつつもそれなりに納得したワタシ。それでも、忙しくしている両親に戸籍謄本を取って送って貰うコトが心苦しくて(さすがにパスポートがなくなったことは伏せておいた)、早く発見されないか、されないかと何かに憑りつかれたかのように始終タブレットで追跡ページを更新していたのが、ワタシのデンマーク生活最大の修羅場だった。 ちなみにデンマーク滞在をかけた筆記テストもこの修羅場の10日間の間に受けた。語学テストというよりもう、精神の修行か何かだろう。

荷物を捌いた人間がいい加減で、その辺に放置しておいたのだが、紛失賠償の申請がされたのをきっかけにその上司が確認することになり、郵便物がパスポートだったコトを知ってあわてて配達したのではないか。と、下衆な推測をしてみたが、当たらなくとも遠く外れていないと思う。

DHLの追跡によると、返送郵便物が英国を出たのはUKBAに書類が届いてから9日後のことだった。これに関しては10-15日はかかると踏んでいたので評価したい(って偉そうだが)。っていうか、まさか渡英前から Royal Mail の洗礼を受けるとは。うわさには聞いていたが良い経験をさせて貰った。サービスの質がデンマークに住んでいた頃よりも下がるのは必須である。

本来であればイギリスへは配偶者と共に入国しなければならないらしいが、彼が既にイギリスで働いていたので、ワタシ一人での入国であった。パスポートに記載されていない滞在分はOpholdskort を見せて証明した。イギリスへの入国の厳しさは以前から聞いていたのでガクガクブルブルして入国管理局へ向かったが、幸運なことにワタシのフライトはEU発。前後に海外からの便がなかったのか、EU以外の列も待たず済んだ。 親指と人差し指の指紋を取られ、(ビザの有効期限が6ヵ月しかないので)「早く延長手続きをするように」と指示されたくらいで、あっけなく入国となったが、ふりだしに戻って一からやり直しという感じが否めない。もう少し肯定的に表現すると、経験値は積んだがゲームオーバーで、異なるステージでプレイする感じかな。

大きな声では言えないけれど、既にホームシック

7.02.2013

さよなら語学学校

日本を離れて11ヵ月が経った。区切りの良い1年ではなくて11ヵ月で振り返るのは、北欧某N国や、ドイツの大学町で過ごした期間が11ヵ月だったからだ。右も左も分からぬまま留学生活が始まり、何とか自分の力でやって行けるようになるまで11ヵ月かかった高校交換留学。単位を取りまくった大学交換留学。過去のそれらと比べてデンマークでの生活はかなり緩いものだから、もっと頑張らないとな、と自分で自分を叱咤するつもりでいたが、もうそれすらも叶わない。何故ならワタシは既にデンマークを去っているからだ。

何となくこの国を離れるかもと、雲行きが怪しくなって来たのはロックアウトが始まった頃だろうか。彼のLinkdinのプロフィールに興味を持った会社からアプローチがあり、ロックアウトが長引いているうちに、あれよあれよと転職が決まってしまったのだ。皮肉にも最終オファーが出たのは、ワタシのOpholdskort が届いた日だった。モジュールテストの前日は、引っ越し先のビザのアプリケーションを読み込んで、勉強どころではなかったし、テスト当日もパスポートをスキャンしたりと直前までバタバタしてテストどころではなかった。2週間程は申請手続きの書類集めやら、アパートの引き払い手続きやらで宿題すら出来ずに行き当たりばったりで受け答えをするというスリリングな授業を経験した。

先に述べた通り、ワタシのクラスメートは皆、出来るヒトばかりである。そしてワタシも北欧初心者ではない為、デンマーク語を学ぶのがそこまで苦ではない。そして手のかかる小さな子供がいるわけでもない気楽な身である。Job Center の(御目付役)担当者の感触も良かったし、クラス全体が11月にPD3を受ける流れだったので、ワタシも便乗して11月にPD3を受け、通常2年で終えると言われているコースを1年で終わらせるつもりでいた(し、先生にも太鼓判を押されていた)。無料で学校へ通えるのは3年なので、PD3後は残りの2年でゆっくりStudieprøvenの準備をするか、どうしても高得点が必要ならばPD3を来年の5月に受け、Studieprøvenに1年半をかけるつもりでいたのが、嗚呼、残念。ゆくゆくはぬくぬくとSUを受けながら院に進み、正規の学生をしているうちに永住権を申請するつもりだった(フルタイムの職に就くのは既に諦めている)のだが、嗚呼、残念無念。

純粋に楽しくデンマ語を学べたのが2ヵ月弱。移住テストの代案であるPD1受験の為にと引っ越し準備の合間に学校に通ったのが2ヵ月近くと、約4ヵ月という短い期間のワタシの語学学校生活はモジュール3から4に駒を進めただけで一時休止となった。再開の目途は立っていない。とは言え、こちらの家族はデンマークにいるのだから、これからもデンマ語との付き合いは続いて行く。堕ちない程度に自分でやって行くしかないな。

そんなこんなで昨年の秋から始めたブログも一時休止。もう、リアルの引越しでおなか一杯なので、このブログは図太く続けて行くけれど、カテゴリーは変える予定。

デンマーク関連の皆さん、短い間でしたがご愛読ありがとうございました。

空港の出発ロビーに近い一時駐車場のサイン。駐車チケット発券機があるわけでも、管理(監視?)の職員がいるわけでもないが、皆マナーを守っている。そんなスマートさが好きだった。