1.29.2013

そういうヒトにワタシはなりたい



デンマークでは法律がわりと頻繁に変わる。夏に自転車を入手したが、その直後にした事と言えば自転車用のライトを購入した事だった。ドイツ同様皆さん結構なスピードで走り抜けるので、こんなライトで大丈夫か?と内心やきもきしていたが、去る秋に法律が変わり、写真上のライト(2度続けて後部用の赤いライトは盗まれた。くっ。)では対応出来なくなった。一時的な手間は増えたがこの動きには同意する。今では駐車場に止める度に取り外せる型の、より強力なライトを付けている。

そして年が明けて自動車免許に関する法律も一部変わった。 ワタシが属するコミューンは割と出来る職員が揃い、こちらで結婚の手続きをした際はバッサバッサと書類を読み倒し、先月の住所登録もすんなり済ませてくれたのですっかり信用していたが、今回はその自動車免許で苦戦させられた。

こちらの医師による健康診断書と共に日本で作成した免許証の翻訳と手数料(と確かパスポート)のみでデンマークでの仮の免許証は発行されたのだが、中々二重所得が可能な事を理解して貰えない。こちらも大使館による証明なしの免許証の翻訳を提出したので、なかなか強気に出れない。

やむなく帰宅後、大使館に問い合わせ、その旨が説明された書簡を入手。そして二重所得が認められる条項が記されたJustitsmisterietのページを見つけ出し、そのプリントアウトと共に後日トライしても「新しい法律では如何なる国の出身者でも二重所得は認められない。」の一点張り。その日はまだ法律が施行される前なので粘ったら、その職員が警察署で受講したという法律改正に関する資料の一部を見せてくれた。まさかオリエンテーションをしてまで周知徹底させているとは思わなかったのでフェイントを食らい、思わず納得してしまった(と言うか、コペンハーゲンに保管されている免許証を取り戻す場合、必要になる期日の3週間前にその申請をしなければいけないのだ。デンマークは九州と同等の面積と記憶していたのだが、九州ってそんなに大きかったっけ?かの王国の自治体と警察の間には思った以上の距離があるらしく、色々脳内で情報処理をしていたら自分の番が終わっていたと言った方が正しい)。

しかし、その新しい法律とやらをどの方向から眺めても二重所得に関する変更箇所が見つけられないし、書類を依頼したのが施行前と言えど、大使館ががその法律改正について知らない筈がない。再度大使館に問い合わせ、コミューンに向かう。2度目に対応してくれた自信に満ち溢れた職員は見当たらず、優しそうな年配の職員に対応して貰ったが結果は同じ(ってか、どう思い返しても2度目の職員がやり残して放置された書類を片付けていただけに見えたんですけど・・・)。最終的には窓口で(事前に了解を頂いていた)大使館に電話をかけ、直接職員に説明して貰うという情けない結果となった(大使館の皆様、その節はご尽力賜り誠にありがとうございました)。大使館の職員の方はコミューンの職員にわかって貰えたから多分大丈夫であろうとのお言葉を頂いたが、不安は拭いきれない。まぁ、いいや。なるようになるだろう。

それにしても、あの2度目に対応してくれた職員の溢れんばかりの自信はどこからやって来るのだろうか?あの自信と共に生きる人生とは、一体どのようなものなのか。あの自信をほんの少しだけ分けて貰えないだろうか。他人に被害を与えない条件に限り、正直なりたい。

スーパーで見かけたデンマーク版ハロウィーン(fastelavn)の衣装の1つ、Red Ninja。 一体、何を翻訳して「なる」になったのか?その単語が何だったのか気になって仕方がない。翌日、彼に見せようと試みるも既に完売だった。Red Ninja、何になろうが個人の自由だ。なりたいようになるが良い。ただし、あのコミューンの職員だけはだめだ。

1.22.2013

半透明人間から失業者へ

日本を離れて早半年。ようやく語学学校へ通えるようになり、ワタシの半透明人間生活が終了した。失業者になったとも言える。これからは語学学校でいっぱいいっぱいになるだろうから、その前にその経緯を記しておきたい。



8月末にコペンハーゲンの移民局へ書類を提出してから2ヵ月経とうという頃、移民局から一通の手紙が届いた。「(メンゴ、メンゴなどとは言わない。そもそも彼等は絶対に謝らない) アナタ達が提出した書類を受け取りました。これから手続きを開始します。」と。 はっ?この2ヵ月何をしてたの?と突っ込むも、その後に「提出後3ヵ月以内に処理されるシステムを選択していますので、今後1ヵ月で処理が完了する予定です。」と続いたので受け流した。ここは悪名高きデンマーク。不要なストレスを消費することもなかろう。

驚くべきことにその手紙を受け取った直後に銀行関連の書類が届いた。日付をチェックすると上記の書類が発行された翌日である。やる気になれば出来る子なのか、移民局。2ヵ月書類が眠っていたセクションの増員を願ってやまない。

彼が銀行に駆け寄り書類を手配。ワタシの身代金の書類を提出したのが11月上旬。その後2、3週間程で2年の滞在の許可が下りた。確かに申請してから3ヵ月以内と言えばその通りだ。お祝いにとGeorg Jensenを買ったのもこの頃だ。

その翌日にコミューンへ行き、住所登録。今度はイエローカードと呼ばれるCPR番号の記されたカードを待つことになる。ワタシはデンマークで結婚したので名字を変えたかったのだが、職員に相談して、CPRカードを待つことにした。これ以上移民局の負担を増やしてはいけない。

イエローカードが届いたのはクリスマス休暇直前の仕事納めの日。早速コミューンで名前を変えようも、その場では出来なかった。どんなに宗教離れが進んでもここはプロテスタントの国デンマーク。名字変更は教会で、なのだ。コミューンでワタシ達が所属する教会を調べて貰い、彼が電話で照会するとあと30分程で閉まってしまうとのこと。昼休みに付き合ってくれた彼も仕事に戻らなければいけない。が、年明けまで手続きを待つのも避けたい。急遽とんぼ返りでワタシが自転車で教会へ向かい、書類を受け取ることになった。

ところでデンマークはパンケーキの国と例えられるほど平地が続くのだが、その教会は丘の上にある。初めての土地と限られた時間と心臓破りの坂にワタシのデンマーク初の試練があった(どれだけ緩い生活をしていたのだか?)。漕いでも漕いでも先が見えない坂に「パンケーキの国だなんてメルヘンチックなこと抜かした奴出て来い。」と毒づきながらペダルを踏み続けること数分。無事に書類を受け取ったがその日の夕方は乾いた咳が止まらなかった。身に覚えがある咳である。有酸素運動ではなく、無理な運動をし続けた後に出るその咳は、7月に入国して以来である。3本目のフライトが若干遅れて、着陸した時には4本目のフライトの搭乗手続きが既に始まっていたのである。欧州某巨大空港のターミナルの端から端まで荷物を抱えて走ったあの日を忘れるなとのコトだろうか?機内持ち込みのスーツケース(+α)と共に動く歩道を5本以上走って滑り込みセーフで機内に乗り込んだ経験なんて言われなくても絶対忘れないのだけれど。

名字変更に必要な所定の手数料を振り込み、記入した書類は彼に届けて貰った。痛みも幸せも分かち合うものである。クリスマス休暇中にも関わらず、教会から別件で電話があった。その際に聞いた所、教会から直接コミューンに連絡が行き、名字が変わったようだった。年明けに義母宅から帰って来たら、教会からのワタシの名字変更完了の書類が届いていた。

Opholdskort も新しい名字のイエローカードもまだ届いてはいないけれど、イエローカードのお陰で物事がスムーズに進むことが増えた。まだまだ踏まなければいけないステップがあるが、働くことを許されず、学校へも通えない(いや、お金を払えば行けるのだが)、半透明人間としての半軟禁状態の半年が何事もなく過ぎたことに感謝しつつ、次へコマを進めたいと思う。

1.15.2013

黄色に潜む危険、それはセール


日頃からアメリカ刑事ドラマなど見過ぎている為か、黄色と黒のテープは立ち入り禁止の意ととらえ、クワバラクワバラと距離を置いている。だからショッピングセンターが黄色と黒のテープで埋め尽くされていても、何か事故があったに違いないと、敢えてそれに触れないデンマーク人の大人の対応に関心すらしていたのだ。

しかし、どのお店でもこの黄色攻撃は凄まじく、春はもうすぐとばかりにうきうきしているワタシの脳ですら、これはイースター関連ではないとようやく気付くようになった(ってか、遅いよ)。年明けからこんな感じで至る所に吊るされている店内のバナーはイースターではなく、実はセールを表すものだったのだ。

嗚呼、この間プレゼント交換時のレジに貼られていたあのテープも「台が壊れているから気を付けて」の意ではなく、天井から垂れ下がっているのも、「雨漏り注意」ではなく、「ここにセール品がありますよ」の意だったのか。何とも、黄色はこの国ではセールを表すものらしい。

まぁ、何かしら物価の高い北欧でのセールは魅力的で、お財布の紐に気を付けての意味では間違ってはいないのだけど。



1.09.2013

プレゼント交換

冬至を過ぎてしばらく経つが、確実に日が長くなっていて、何だか嬉しい。長く暗い冬を忘れる為にクリスマスを盛大に祝うのか、その煩わしいクリスマスストレスにより冬鬱になるのかは分からないけれど。

そんなデンマークで初めて迎えたクリスマスも、ツリーの処分とプレゼントの交換に伴いようやく終了した。長かった。

ツリーは紙のリサイクル日に合わせ、さっくり処分。Wish Listのリクエスト以外でサプライズで頂いたプレゼントはキッチンガジェット2点とガラス製のキャンドルホルダーに変わった。そして差額の5kr.まで戻って来た。無常にも交換してしまってすみません、お義母サマ。大事に使わせて頂きます。

後は春の訪れを待つのみ。



こちらはクリスマスを過ぎても現役。首なしサンタと河童スノーマン。キャンドルホルダーは2個に増えた。


1.02.2013

クリスマスは終わらない

年が明け、義実家のクリスマスツリーを片付け、お世話になった部屋を片付け、最後の洗濯機を回す。そしてアパートに戻った後、真っ先に手を付けたのが、我が家のツリー。ひとり「北斗○拳」ごっこ再び、である。

(おかんアートを探せ)


デコレーションを外し、ツリーを外に出し、落ちた針を片付けるも、それだけでは終わらないのがクリスマス。

実はお義母サマから頂いたプレゼントのうち一つがほんの少し自分のテイストと合わないので、どうしようかちょっと迷っているのだ。少し足してGeorg Jensenのボウルでも買おうかと思ったが、実際の商品を手にしてみると少し小さい。結局変に悩んで決められなかったが一か月以内なら交換OKなので、近いうちにまたお店に足を運ぼうと思っている。

それにしても二桁は軽く頂いたお義母サマからのプレゼントの数々、そのうち交換するのが一つだけだなんて、お義母サマ、良くわかってらっしゃる!