6.25.2013

デンマーク滞在試験に抜け道あり

夏が来た。といってもここは北欧。そこまで暑くはないとは思うのだが、人々の肌の露出度に驚いてしまう。気持ちは分からなくもないのだが、目のやり場に困る。ついつい老婆心から「そんなに張り切って焼いたら40過ぎにはもうボロボロになってしまうわよ。」なんて、まぁ決して口には出せぬまま短い夏は終わってしまいそうだ。しかし、そうは問屋が卸さない。ワタシにはデンマーク滞在をかけたテストが待ち構えていたのだ。

ブログタイトルの「デンマーク滞在試験(って、さっき勝手にワタシがつけた)」とはDanskprøve A1 及び A2 を指し、語学学校終了時のテストであるPrøve i Dansk 1,2,3(以下PD1、PD2、PD3) とは異なるものである(嗚呼、面倒くさい)。 この Danskprøve A1 及び A2 等の語学試験は今まで日本を含むEU以外の先進国は対象外だったのだが、今回からEU加入国以外はもれなく対象となった(らしい)。ビザが発行されてから6ヵ月以内に受けろとのお達しである。

何だか偉そうだが年明け発表予定だったこのテストは、滞在試験内容がなかなか決まらず、3月になってようやく適用された曰く付きのテストである。ワタシの配偶者ビザは昨年の秋に下りたが、3月からカウントが開始されるので9月までに終わらせれば良いらしい。A1 に受かって晴れてデンマークでの滞在が可能と身代金の一部返金。更に A2 に受かれば更に返金で 無利子で預けていた50,000kr. の約半額が返って来るのだ。詳しくはパンフで。

大体の話は分かったが、テストのレベルってどのくらいなの?との疑問には以下の図が役に立つ(って、以前の図CEFRを加えただけだが)。このA1とA2はCEFRでのレベルのことだろう。テストサンプルでは易しく感じても、A2+を取り払ってA2をひとくくりにしたら難易度が上がった感じがするな。


簡単に書いてはみたが、ここは悪名高いデンマーク、この試験もタダではない。それぞれ2,438.40kr.(5月上旬のレートで42,500円)もかかる。実際の受験時間は30分と短いが、受験場所はコペンハーゲンのあるシェラン島の一か所のみ。しかも試験対応時間、1日3時間の超お役所対応。現在の政権は過去のそれと比べるとわりと寛大(というか、まだましというレベル)なのだが、さすが移民難国デンマーク、期待を裏切らない。

期待を裏切らないと言えば、特例。社会に規律あり、法律に抜け道ありとは良く言ったものだ(って、さっきワタシが作った)。このDanskprøveにもきちんと抜け道が用意されている。A2(若しくはA1もだが、A1のみに限定するメリットはない)は Prøve i Dansk 1を7段落中、下から数えて3を取れば良いのだ(デンマークの現在の採点は、-3 ・ 00 ・ 02 ・ 4 ・ 7 ・ 10 ・ 12 というように7段階に分けていて、そのうちの02で今回のテストはパスとされる。5と8は混同しやすいから使用しないとか、2は12にごまかされやすいから02と表記する等、スケール表記は正直分かりづらい。詳しい段落の説明はココ。勿論、PD3等のもっと上のレベルの試験でも可)。受験料は1,224kr.で、しかも(多分通っている)語学学校(か、近辺)で受験出来るのだ。試験時間によっては前日入りも避けられない距離から、ワタシがA2ではなくPD1を選択したのは当然の成り行きと言えよう。

PD1の試験の説明会では、受験者が皆、良く話せるような印象を受けた(Danskuddannelse 1 と言えど皆さんモジュール6の学生なので、当然と言えば当然なのだが)。 筆記は先生が問題の説明をしている間に全て回答出来るくらい簡単なのだが、口頭試験の準備はしておかないとヤバいかも、と同じくPD1を受けるクラスメートと話して帰途についたのを覚えている。交通費を含め、時間的、金銭的ハードルは下がったが、実際のレベルはA2よりも高い。“Loophole!!!”と、喜んでばかりいられないのが移民難国デンマークでの滞在試験の抜け道である。

筆記試験は3時間という中途半端な試験時間な為か、コーヒー、水、甘い物等を持ち込んでいたヒトが少なく、張り切って準備したワタシは恥ずかしい思いをした(朝が早かったんだってば)が、単に皆、試験慣れをしていないようだった。「問題用紙にCPR番号を書くだけで、まだテストは始めないように。」という試験官を無視して問題を解き始める受験生が多く、唖然とした。何故ならこれ等のインストラクションは全て聞き取りやすい音量で一語、一語区切られて明瞭に話されていたからだ。デンマークに来てしばらく経つ気がするが、そんなデンマーク語を聞いたのは初めての経験だった。何度も書くように指示されていたCPR番号を書かずに注意を受けている受験生もいて、改めて運営側の大変さを知った。最初の2セクションは試験そのものより、忍耐強い指導官を観察していた時間が長かった。最後のセクションでようやく、試験時間内でも終わればその場で退場出来るようになったので、その前の休憩時にあらかじめ荷物をまとめておき、チャッチャとライティングを済ませ会場を後にした。この筆記試験は(失礼だが)本当に簡単で、受験前はクラスメートとテストのことを"Intellectual Insult"と、揶揄していたのだが、指導官の言っているコトすらわからなくて、ひょっとしたら落ちるかもしれないヒトもいるんだなと考えると同時に、(ワタシが言えた口ではないが、語学の面で)この程度の移民を受け入れるデンマークのコトを考えると何とも言えない気持ちになった。

ところでPD1の採点配分だが、筆記1/3、口頭2/3で採点される。筆記で12を取ったワタシは総合得点でも既に合格ライン越えの4を取ったコトになり、口頭試験は試験を受けさえすれば合格であると先生が(バラして)教えてくれたので一分間の簡単なスピーチだけ用意してリラックスして口頭試験に臨めた(が、スケールは-3からあるので、正確には単純に12/3=4ではないと思ったり。でも先生は確かに4と言ったのだが・・・。まぁいいや)。

口頭試験は5年ほどデンマークに住んでいるという中国人と組むことになった。大きなミスもなく、パートナーの足を引っ張ることもなく、つつがなく終了したつもりが、スコアは10だった。 文の構造も語彙も素晴らしいが、発音がひどかったらしい。正直ここ1ヵ月は全くと言って良い程、努力も何もしていなかったので、ぐぅの音も出ないが、まぁいいや。次に生かそう。試験結果を移民局に送れば全てが終わる。

※授業料を肩代わりしているコミューンにとって、移民がPD1を合格して学校を終了しようとPD3を合格しようと課程を修了したことに変わりはない。あくまでA2の代用試験として受験するのみで、学校は続けるとの意向を示し、コミューンの了解を取らないと恐ろしいことになる。これ等PDのテストは年に2度しか行われなく、受験締切は筆記試験の2か月前。ワタシの場合は移民局から手紙が届いたその日に語学学校及びコミューンに問い合わせて、回答(ゴーザイン)を貰ったのが締切日だった。受験料は次の日まで待って貰えた。ビザの手続きですっかり心が擦り切れてしまい、これ以上移民局に一銭も払いたくないという方にお勧めです。

6.18.2013

デンマークの洗礼

徐々に増えつつある体脂肪のサポートもあってか、一層ツラの皮が厚くなって来た気がするデンマーク生活11ヵ月目。何だかんだやらかしても大して気にもせず、のらりくらりと過ごしている。例えばスーパーでのブドウの量り売り。てっきり一袋いくらで価格表示がされていると思い込むも、実はグラム当たりの単価で、レジで青くなった経験が何度もある。もう一つが自転車。こちらの女性は細いようでも結構目方がある。台風並みに風の強かった日にそんな彼女等が自転車を降りて橋を渡っているのを横目に自転車に乗っていたら、案の定強風に煽られて車道に吹き飛ばされそうになった。流石に命が惜しかったので踏ん張ったら、筋肉がつって3週間ほど何をしても痛かったとか、他にもいろいろあった気がするのだが、思い出せないのは確実に中年に近づいている証拠だろう。

これらの取るに足りない、自らの招いたミスは全くの自己責任にて処理出来るのだが、そうでないコトはまるで意思表示すら出来ぬまま洗礼式を行われる赤子ではないか。理不尽である。

その一つがビザ関連。冬に一段落した手続きは、残るはOpholdskortを受け取り、テストに受かるだけとなった。しかし、寝ても待ってもカードは届かない。すっかり忘れていた頃に、滞在延長手続きをされたという方のブログを読んでさすがにまずいと思い、移民局に確認してみた。案の定コミューンの手違いで処理が中断されたままだった。電話上で(コミューンがないがしろにしていた)情報を伝え、3週間程してようやくOpholdskortが手に入った。ウチのコミューンは出来る子だと思っていたのに、やれやれ、である。

もう一つの洗礼的事件と言えば、散髪だろう。 電話で予約後、デンマーク的には良心的な値段のネットで評判の良かったヘアサロンに向かったのだが、これもOpholdskortに勝らぬも劣らない勝負だった。

コーヒーを頂き、息子さんがアジア旅行中だというスタイリストと世間話(というか、やっぱりこちらはお客様、色々褒めてくれる)をした後に出来上がったのは、ザ・アジア人 in Europe だった。あんなに「内側を梳いて」とお願いしたのに、落武者が座敷童に変わっただけだった。 もちろん、前髪はオン・ザ・眉毛、パッツンである。

友達も出来、行動範囲も広がり、ある程度は何でも出来るようになったデンマーク生活11ヵ月目。そもそもデンマークに洗練された技術など求めてはいなかったが、まさか洗礼の返り討ちに遭うとは思わなかった。まだまだ修行が足りないようだ。


渡欧時に手放した Melitta のコーヒーポットの後釜発見!と、 Kræmmermarked で義母に買って頂いたのは、言われなければ全く気付かないであろうロイヤルコペンハーゲンのティーポット。注いだ時に蓋が落ちないデザインで、食洗機でガンガン洗ってもビクともしない程がっしりしているので、大雑把なワタシにぴったり。あまり使い道がなかった頂きモノの鍋敷きもようやく日の目を見るようになった。何だかんだ文句を言いつつも恩恵は享受しているデンマーク生活。割と気に入っている。

6.11.2013

応用不適合

学生時代は出来た友達に囲まれていたので、社会に出るまでワタシは同性から嫉妬されるという経験がなかった(というか、そもそもそんな対象でもないのだが)。確かに職場で資格手当を貰っていたが、資格取得の為、仕事帰りに学校へ通ったのはワタシだ(勿論自腹)。年上の職場の女性だったのだが、何度も会社が受験料を負担した試験の受験票(職種が違うので別の試験)をわざと会社に忘れたフリをして、週末のその試験をなかったことにして過ごした彼女に嫉妬されても、いやがらせをされても痛くも何ともなかった。逆に学ぶコトを拒否し、その場に居座り続けることの難しさを彼女自身が証明してくれたので、彼女には感謝しても足りないくらいだ。

何でそんな10年以上前の昔話を引っ張り出して来たかというと、最近似た体験をしたからだ。カルチャーショックもなく、語学学校も初級を飛ばし、のらりくらりと生活しているように見えるワタシが羨ましいらしい。職に就いていて自立したわけでもなく、旦那におんぶにだっこのワタシを何故・・・?

確かに寒冷地仕様のワタシにとってこの国の寒さは、「こんなに暖かい思いをしてすみません」という程「ぬくい」。寒いとあまり感じなかったのでブーツは数えるほどしか出番がなく、常にスニーカー。昨年の冬は屋内ではほぼ裸足で過ごした(室内履きは履いている)。暖房は8段階のうち1に設定すれば十分。こちらのレインコートが厚手の為、冬コートなしでやり過ごせるのでお財布にも優しいが、ワタシがこの国に住む上での先天的なアドバンテージなどこのくらいだろう。それ以外はワタシが身を削って学んで来たものである。デンマーク人と結婚した同じアジア嫁だが、ワタシ達の相違点はそれくらいである。比較するコト自体がそもそも間違いで、嫉妬などまるで異次元の言語で、何を言われているかすらわからない。

これから挙げる例と自分を結びつける気はないのだが、世の中は様々なジャンルでありとあらゆる成功本で溢れている。英才教育を受けたアスリートから、歴史的・社会的背景から外国語を学ぶ必要に迫らせて開花した翻訳家。はたまた30代から英語を本格的に学び本職にした女性や海外生活経験なしにTOEIC高得点を叩き出し続けている男性等、「ひょっとしてワタシにも出来るかも?」と思わず手に取って確かめたくなる程キャッチーな謳い文句で、アナタをレジへ誘うが、これ等のサクセスストーリーを自らに当てはめるのは大変難しい。

難しい要因の一つが環境の違い。例えばワタシが海外で英語に没頭し、日本語が不自由になって帰国してもワタシは梅子にはなれない。時代背景以外の要因全て同じだったとしても。性の差別なく学ぶ機会が21世紀の現代にはあるからである。女性にターゲットを絞ってビジネススクールを立ち上げたとしても、梅子ほどの業績は残せまい。先ほどから梅子、梅子と連呼しているのは、単に個人的趣味だが、名前云々のインパクトではなくて更地にお城を建てたのと、乱立された雑居ビルの一室を借りたのとを比べる感じだろうか。時代の違いだけではなく、例えば誰の意思で来ているのかわからないくらい遊びまくっている(ように見える)語学留学の学生と、他の分野で学位は持っていても戦争のせいで職につくことすら出来ず、食い扶持をつなぐ為に外国語を稼げるレベルまで学ばなければいけなかった学生も、先天的要因が同じだったとしても環境が違うだけでこんなにも差が出て来る。

もう一つの要因が内部的情報。ワタシは本が出来るまでの過程に詳しくないが、編集者さんのチェックが入ることもあるだろう。聞かせどころをつくるとか、膨らませるとか、こねるとか、寝かせるとか(パン作りみたいだな)。聞かせどころで「ここは正当性を示すためにも○○年度の統計を付けましょう」 なんて、編集者さんは言うだろうか?そんな盛り上がっている所で突然 * 印や脚注などつけられたら読んでいるこっちが冷めてしまう。聞かせどころの物語の山は語り手の印象とか感情とかがあってこそ盛り上がるのである。水を差すようで恐縮だが、それらのサクセスストーリーは外部的情報に乏しく、モノサシで測れない場合が多々あり、再現したくても出来ない。まぁ、そもそもそれらの山はステージを幾度か上がって行った一般人では語れないレベルのお話しだからこそエンターテイメント的要素も加わるのだろう。隣の家の佐藤君がTOEICで600点取った話など誰も聞きたくもないし、聞いたとて、面白くも何ともないのだ。そしてその分野の頂点に立った者だけが語る権利を与えられる透明なペンによって書かれたサクセスストーリーは後継者育成書でもなく、金太郎飴製造手引書でもないエンタメ本なのだ。

このように、サクセスストーリーを自分に応用することが難しいにも関わらず、ヒトはこれ等のストーリーを好む。共感しても、疑似体験をしても、それらの成功や栄光が自分のモノにはならないにも関わらず。確かに得られるヒントや試してみたいトリックもあるだろう。しかし、本一冊が成功を運んでくれるわけではないし、アナタが本の中で生きるわけでもない(この例え、怖い)。ヒトはヒト、自分は自分と受け入れ、進んでいくしかないのである。

だから仲良くして下さい。

 最初の頃捨てていなければもっとあった筈のペンの残骸。筆記用具に関して言いたいことは限りなくある

6.04.2013

Kaprice Metode

自慢にもならないが根気がない。洒落にならないほど続かない。ヒトは新しい習慣を身に付けるのに最低3週間必要だそうだが、ワタシなど勿論3週間どころか3日も持たない。3日坊主とは良く言ったものだが、残念なコトにワタシの持久力は2日しか続かない。ではその2日で何をするか、(一週間分-日曜日の)6日分こなせば良いのだ。1日3日♪と言うのは半分嘘(で半分ホント)。

世の中の語学のプロは中々手の内を見せてくれないので、馬鹿にされるのを承知で手応えが良かった進め方を記してみる。

先ず、「初めにゴールありき」。テキストを開く前に、何故その言語を学んでいるのか、何故そのテキストなのか、いつまでにそのテキストを終わらせたいのか、テキストを終えた時にはどうなって/何が出来るようになっているのかを想像してみる。そして、早くその状態の自分になりたいなという思いでテキストを始める。

「何故そのテキストなのか?」の問いには、「このテキストの筆者は自分がこれから費やす5倍の時間とお金をかけてこのテキストを作った筈だから、その思いを無駄にしない為に!」とか、「このテキストを終わらせない限り春は来ない」とか、「テキスト終了が白馬の王子様がやって来る最低要求ライン」とか、正直何でも良い。山があれば登ってしまうヒトには「そこにテキストがあるから!」という理由づけでも良い。単に上からやれと命令されてこなすのではなく、自主性が欲しいのだ。

「いつまでにそのテキストを終わらせたいのか?」人生思った程長くはない。締切を定めよう。例えばテキストは15課あるから月から金の週5で3週間かな。と、土日は休める余裕を持たせる。ただ、進みたい場合は進んでも良いが、テキストは3回繰り返すとか一度きりのお付き合いにならないように気を付ける。

最後の自己暗示的なものは好みが表れるトコロだが、てっとり早く説明すると「意識のレベルを変える」コト。残念な現実だが世界の億万長者が過ごす意識のレベルで大抵のヒトは一日を過ごしていないだろうし、それと同じように語学のプロやその上級レベルまで到達したヒトの意識のレベルでは大抵の学習者が学んでいる訳ではない。そこで想像してみるのだ。その目標とするレベルのプロがどのように語学をとらえているのか、出来るようになったらどんな日常が待っているのか。本棚にボロボロになるまで使われた辞書はないか、お気に入りのその言語で書かれた本がないか、DVDがないか。又はその言語が使用されている国で臆することなく旅していないか、働いていないか。それをしている時にどのように感じているか想像してみる。想像するだけタダだ。もっと貪欲に想像してみる。そしてその想像上の何でも可能だった世界の自分と、今の自分を比べてみる。「こんなコトしている場合じゃない!(早くあのレベルの自分にならなきゃ!)」とお尻を叩かれている感じがしたらシメたものだ(この「なったつもり」暗示は語学に限らず結構使える。例えば海外旅行から帰って来てスーツケースの荷ほどきをしなければいけないが、時差ボケでそんな気力もない。そこで知人の綺麗好きなA子だったらこの場合どうするだろう?と想像してみる。彼女ならするだろうな。ちょっとA子になったつもりで片づけてみようかな?と、置き換えるだけで荷ほどき出来てしまうから不思議だ。お試しあれ)。

そしてテキストAから始める。進む速度を1日一課と定めていないので、苦痛にならない程度に進む。テキストを始めたばかりは一日に何課でも進めるだろう。調子に乗ってテキストの半分くらいまで進んでしまうと2日目にはお腹いっぱいになっている筈だ。3日目に、そのテキストではもう食が進まないので、テキストBをつまみ食いしてみる。やはり面白そうな言語なのでテキストBを何かに取りつかれたようにこなす。3日目にはもう目にも入れたくないくらい詰め込んだので、テキストCを齧ってみる。期待を裏切らずこの言語は面白そうだ。やっぱり自分はこの言語は好きなんだとページをめくる。随時テキストA、Bで習ったことが出て来て「コレも知ってるぞ。アレも知ってるぞ。オマエのコトは全て御見通しだ!」と、変にテンションが上がる(この知的アドレナリンの大放出を経験するだけでも、これは試す価値があると思うのだが)。日曜日は休んでもOK(というか、休んだ方が翌週「駆り立て」られやすいので是非休むべきだ)。翌週は、またテキストAに戻り、先週の続きから進める。2日間全力投球した後は、テキストBで心機一転。更に2日後にはテキストCへと進む。

これは基礎中の基礎である文法を学ぶ時が最も適しているが、ある程度終えたらどのテキストにも応用出来る。易しめのテキストばかりやっていてはつまらない。背伸びして上級のテキストを齧ってみる。(当然歯が立たないので)「1ヵ月後に待ってろ」と捨て台詞を残し中級のテキストを手に取る。少しわかりづらいトコロが出て来たら初級のテキストで確認してみる。とあるテキストで句動詞に情熱を注いだ後は、接頭辞・接尾辞を洗いざらい調べても良いだろう。発音こそ色々テキストをこなして何でも耳に入れることだ。熟語やことわざはやはり毎日コツコツと確実に詰め込む方が良いだろう(って、それが出来れば苦労しないのだが)。これらは寝る前に数ページだけ読む等、負担にならない範囲で日常生活に溶け込ませるしかない。

個人的に面白かったのが、テキストをこなしている最中にお告げの如くマイブームがやって来たコト。昨年の夏は「不規則動詞こそ全て!」と、いきなり無味乾燥的な表を作り、140-160程しかないが不規則動詞を全て覚えようとしたり、「人生に彩りを!」と、形容詞や形容動詞ばかりに傾倒したり、「いやいや、オトナですもの数字の序数(first とか second とか)くらい書けないと!」といきなり一人筆記小テストが始まったりした。この不規則動詞と形容詞/形容動詞マイブームは自分でも笑ってしまう程規則的にやって来た。ちょっとは苦しかったのだろうか?周期をメモしておかなかったのが悔やまれる。

注意すべきポイントは、一日にテキストA、B、Cとこなすのではなく、テキスト一冊のみに集中するコト。テキストによってこなす順序が当然違うが、カバーする文法はほぼ同じ筈。テキスト3冊使用するわけだから、必然的に3度学んでいることになる。一度で3度美味しい。一日1課などと決めていなければ例えば15課 あたりのテキストなら10日程(2週間)で終わる筈である。それを3度繰り返せば一か月半で文法マスターだ。大学の1セメスターの半分くらいか?決して悪くない方法だと思うがどうだろう?


とある日の本棚。上段の約半数と、下段の2冊を除き、残りは借り物(だからタイトル面がテキストのみ)。ありがたや、ありがたや、図書館サマ。

ブログタイトルである Kaprice Metode の kaprice は kapriciøs(英:capricious)から引っ張ってきたつもりが(読み返してみると lunatic だった)、フラ語系、イタ語系で何だかお洒落だ。語学業界のトレ○シー・メソッドの如く、新しいコトバの学び方として一世を風靡・・・なんてまずしないだろうな。