5.28.2013

語彙は美味しい

そろそろテストに向けて使える語彙を確かにしないとな、と、去年の秋にこなしていたビジュアル辞典をひっぱり出してみる。というか、(勉強しなかったのを棚に上げて)モジュールテストで満点取れなかったのが悔しいので今度こそ頑張ってみる。そう言えば最近宿題すらしてないな・・・。まずそこから変えないとな・・・。まぁいいや。


左の Engelsk と書かれたかすかにユニオンジャックが見えるのは、更に小さくスウェーデン、デンマーク、ノルウェーの国旗が示すように、英語対スウェ語、デンマ語、ノル語の一度で4度美味しいビジュアル辞典である(出版元はスウェーデンっぽいがリンク先はデンマ)。北米英語にしか慣れ親しんで来なかったワタシにとって、イギリス英語は新鮮だ。おむつのコトを diaper ではなく nappy と呼ぶのを頭の片隅に記憶されていても、実際目にすると妙に感慨深い(まぁ、所詮おむつだが)。収められている数が数なだけに誤植も目につくが、スウェ語、デンマ語、ノル語を一度に見比べられるのは大きいし、楽しい。他にドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語と展開している為か、価格もフルカラーの割には抑えられていると思う(129kr.)が、英語バージョンはすぐに売れ切れるのか、めったに書店では見かけないのが玉にキズだ。

右の Visuelle Ordbog は デンマ語、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語と、「最後の2つはいらないかも・・・」と思ってしまう程欲張りな辞典である。こちらの方はレイアウトを諦めたのか、すっきりしている。感心するほど何でも載っていてページ数も1000越えだが、文字が小さくて見づらい難点もある。しかし、Chronology of Religions 、Languages of the World 、Periodic Table 、Scientific Symbols、Musical Notation と惜しげもなくあれもこれもと詰まっているので絶対安静で寝たきりにならなくても、常に手元に置いておきたくなる程魅力的な一冊だ。重いので腕力が付きそうだが筋トレにもなって一石二鳥。こちらも破格の 129kr. スーパーサマサマである。

収録が左が6,000語(とフレーズ)、右が32,000語と6,000のイラスト。去年の秋に左をくまなく(例えば一つの単語を an apple, the apple, apples, the apples と)拾って行ったら腱鞘炎になるかと思った。流石にクリケットやアメフト関連の語彙はいらないだろうとスポーツセクションを丸々飛ばしたら合計4,500語しか拾えなかったが、運動部並みの体力は付いたと思う。辞書は未だに重いが、部活後のご飯が美味しいように、語彙の素晴らしさを再発見出来たのは大きい。

語彙は美味しい。食べ過ぎて体脂肪が増える心配もないし、中毒性も(多分)ない。吸収率を高めるために詰め込む頻度と量に気を付ける以外、タブーな食べ合わせも、消化に悪い単語も、コレステロールの心配もない。素晴らしい!これは続けるしかあるまい。次のターゲットは抽象名詞だ。語彙も抽象名詞になってようやく大人の階段を登り始めた感がある。語彙の本当の美味しさはここから始まるのだ。

5.21.2013

外国語習得時における厨二病の発症とその対策について

ワタシにとってデンマ語は(運用能力まるっきし無視で住んだ順で)第4外国語。ノル語、英語、独語、デンマ語は、恥ずかしくてとても人に「出来る」とは言えるレベルではないが、少し齧れば何となくなりそうな言語である(注:あくまで他の言語と比べたらまだマシというレベルで。それに一定期間現地に住んでたしね)。そう、これ等全てゲルマンファミリー。他に色々浮気をしたがモノにならなく、結局ゲルマン言語に落ち着いたとも言える。浮気相手の一つがフランス語(以下、フラ語)。告白するが、ワタシはフラ語コンプレックス持ちである。そして挫折した逆恨みからか「克服してやろう」という野望はひとかけらもない。

英語を勉強していた頃、異国の雰囲気を醸し出していた単語は決まってフラ語だったので、会話でも相手が何か一言でもフラ語を発せようならフラ語を織り交ぜて返していた気がする。当時のレベルでvis-a-visとか、clichéとか、façadeとか、faux pasとか、liaisonとか(決して食べ物系やファッションの話をしないトコロはブレていない)だったろうか。この程度の語彙力で何を話したのかなんて、想像すらしたくないが、英語にフラ語を加えて話すことを「カッコイイコト」と信じていたなんて恥ずかし過ぎる。これは今となってはもう思い出すだけで自ら穴を掘って埋まってしまいたい程の暗黒史だが、もう10年以上も前のことだから時効としよう。独語を学習していた時にも同じ道を歩んだ(いや、もう「カッコイイコト」ではなかったが、フラ語っぽく発音するようには心掛けた)。運用能力は無くても、使う機会は無くても、何は無くても知っていたかったのだ。オープンにフラ語コンプレックスを持つワタシはこれを「外国語習得時における厨二病」と名付け、煽るコトなく、そして忘れるコトなく、付かず離れずの距離を保っている。

しかし、流石に「恥ずかしいコト」と認識していても、ワタシの「フラ語アンテナ」は正常運行で、フラ語系デンマ語を逃すことなくキャッチしている。 というか、社会に出るようになって(=学校が始まって)しばらく経った2月、3月がもうピークで、学校等、フラ語系デンマ語単語に出会ったその場では冷静に対応するも、帰宅後毎日のようにヒャッハー言っていた気がする。この年になって人様の前でのヒャッハーはさすがに恥ずかしい。今回は犠牲者を最低限に抑えたつもりだったが、可哀相だったのは我が家の北欧男子の彼だったのではないだろうか。 そう、この「外国語習得時における厨二病」は確認しなければ症状が収まらないのだ。

仕事から自転車で帰って来た彼に夕食も出さないまま質問攻めするワタシ:
「ねぇねぇ、デンマ語に○○って単語あるよねぇ?あれってフラ語っぽくない?」
「ねぇねぇ、○○って綴りの単語あるよね?あれ発音してみてよ。ね?フラ語っぽくない?」
「ねぇねぇ、-ageって接尾辞って、いかにもフラ語だよね~。reportage って絶対そうだよね~。」
「ねぇねぇ、知ってた?avis(新聞)ってフラ語だったんだよ?報道系って多いのかな?montage もそうだよね~。」
「ねぇねぇ、やっぱり-ment で終わる単語はフラ語系が多いよね。ねぇ、ねぇ、ねぇ・・・(結構続く、そして彼は依然空腹のまま)。」

嗚呼、書いていてますます彼が可哀相になってきた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。 アナタのお陰でワタシ症状が軽くなりました。罪滅ぼしのつもりで、以下にフラ語系デンマ語をあげておく。一人でも多くの厨二病患者が救われますように。

abonnement、announce、arrangement、balance、bougeoisi、chance、chauffør、chok、dessert、dossier、ekstraordinær、flamboyant、garage、garanti、geni、habit、imponerethed、journal、kabaret、kammerateri、laisses faire、mayonnaise、miljø、niveau、obskuritet、par excellence、parole、prioritet、proletariat、quiche、rapport、ræsonnement、sans、sabotage、sarkasme、supplement、toilet、vals 
英語でフラ語はデンマ語でもフラ語。覚えやすいな。そして出会ったフラ語系デンマ語が動詞だった時のヒャッハー感は異常。


写真はデンマ語の辞書アプリを買ってから全く出番のなくなったポケット辞書。語学学校のモジュールテスト時に使ってあげるよ。

5.14.2013

語学は楽しい

5年ぶりに日本に帰国した際、幸運にも仕事に恵まれたのだが、直属の上司はMBA保持者だった。彼も北米から帰国して間もなかったので、仕事の合間に内輪ネタでよく盛り上がったものだ。その一つが海外に住んでしまえば、いつの間にか外国語が身につくと言う迷信。ワタシが、「住むだけではまず身につかない。外国語に慣れた気になっているかもしれないが、実は狭い行動範囲の中で不自由を感じながら生活するのに慣れるだけだ。」といった内容を生意気にも述べると、涙を流しながら笑ってくれた。初の長期海外生活でMBAを取得した彼なりに思うところがあったのだろう。

「ガラスの家に住む者、石を投げるコト勿れ」という諺がデンマ語にもある以上、ここは我が身をつねってヒトの痛みを知っておくべきだろう。最近初心をすっかり忘れているので、語学についてあれこれ書いてみようと思う。

ワタシがデンマ語を学ぶに当たって心掛けたルールは3つ(これに「3つだけだ」と付け足すとジョブスっぽくてカッコいい)。

最初に、 ・気負いすぎないコト。
そして、  ・お金をかけるコト。
最後に、 ・時間をかけるコト。

最初の「気負いすぎないコト」は、簡単に言うと「愛着」。ワタシは独語で失敗したのだが、好きで、好きで、好きが故に出来ない自分との差に苦しむナルシスト的な愛で大変残念な結果になった。この言語への愛着は「(特別な場合を除き)言語が出来なくても死にはしない。ただ出来ると人生の色に深みが出る」程度でオッケー。ワタシはデンマ語なんて別に好きでも何でもないのだが、出来ればこちらでの人生はラクになるのは間違いないので大事に、大事に扱っている(まぁ、乱雑でも良いからもっと使えという意見もあるが)。

次の「お金をかけるコト」は、テキスト、辞書を揃えましょうというコト。図書館で借りたテキストをやり通したコトは一度しかないが、自分の財布を痛めて買ったテキストは大抵やり終えるのだから不思議だ。とにかく文法はテキストでキチンと習った方が習得も早い。そうは言っても自称文法アレルギー患者は結構いる。そんなヒトには「(参考書ではなく普通の)本を20冊くらい原書で読んで、自ら文法を見い出すか、テキストの力を借りて文法を学ぶか?」訊ねてみよう。テキストは優れている。先人の恩恵は進んで受けるべきである。

辞書も確実に母国語と概念を結びつけるのに必須だ。「周りに訊ねれば良いのでは?」との意見もあるだろう。これは語学学校、もしくはチューターなどには許されても、その他の場所での過度の使用はおすすめしない。周りの人間はアナタのお世話係ではない。嫌われないように気を付けよう。中級のレベル位になると、よく「ペーパーバックは辞書を引かずに読みましょう」 などとあるが、賛同出来ない。単語に躓く度に辞書を引く癖のあるヒトには有効だろうが、そのレベルになると文脈から知らない単語の意味を推測することも出来るだろうし、何となく読めた気になってもイザ日本語で説明しようとしても単語が思いつかないからだ(日本語で説明しなくても結構!ワタシは原書でのリズムや臨場感を味わいたいのだ。という方はご自由に。ただし数年後「臨場感」と言う単語が思い出せなくなってもワタシは責任を持ちません。嗚呼、あの頃のワタシに教えてあげたい)。せっかく推測したのだから、この単語が正しいかどうかの確認は是非行うべきだ。正しかったら喜びとなるし、それ以上に認識の擦り込みが出来、記憶が強固となるからだ。

最後に「時間をかけるコト」。誰にだって経験があるだろう。あの一夜漬けのテスト終わった後、何も憶えていなかった学生時代。覚えるのが早かったモノは忘れるのも早い。目指すはテスト前の一夜漬け的な短期的な記憶より長期的な記憶。何をどの頻度でどのレベルまでモノにするか。この辺の匙加減は、そのヒトの置かれた状況や目指すレベルやそこに到達するまでの時間的余裕等、ヒトそれぞれだろうけれど、一通りの文法を終えた後は語彙力アップの道が待っている。これは皆に当てはまる。何故ならヒトは知らない単語は文面上では読めるかもしれないが、聞き取れないからだ。

語学習得に近道などない。自らの手と目と耳を使い、マネて、アレンジして、使い込んで、モノにするしかない。自転車操縦に例えると、文法と語彙という二輪のガタガタな(というより四角くて全く前に進まない)車輪を漕ぎ出すことから始まる。ガタガタなりに漕ぎ続けると徐々にリスニングやスピーキングなど、始めは出来なかったコトを繰り返すことにより、それが少しずつ出来るようになって行く。苦手な部分を一つずつ克服していくうちに四角かった車輪が五角形に、六角形にと角度が鈍くなり、徐々に走りやすくなる。確実に語彙を増やし、句動詞を覚え、イディオムを使えるようにしていくうちに更に角が取れ、車輪は七角形になり、八角形になって行く。得手不得手はヒトそれぞれだから、踏むステップも異なる。あるヒトは発音を矯正しなければいけないかもしれないし、シャドーイングで四苦八苦するかもしれない。ビジネスレベルのライティングよりエッセイが苦手というヒトもいるだろう。語学以前に「論理的に考える」という基礎から始めなくてはいけなくて、もう失うプライドがない程の挫折感を味わうかもしれない(えっ?ワタシだけ?)しかし弱点をクリアして行くうちにようやく車輪が円形に近付き、自転車がスムーズに進むようになる。颯爽と風を感じ周りの風景を楽しみながらサイクリングロードを走るように、社会・文化的背景をとらえた上で、ユーモアを交えながら笑い、言語を操っている状況を楽しめるようになる日が必ず来る。

そしてこのカスタマイズされた語学と言う自転車は一生アナタのモノだ。会社を立ち上げて波に乗せて売ることは出来ても、自転車だけを売ることは出来ない。運が良ければ自転車を付加価値としてアナタ自身が売れるだろう。事業が失敗して会社を畳まなくならなくなることはあっても、誰もアナタの自転車を奪うことは出来ない。くだらない学校の相対評価や理不尽な職場の業務査定なども存在しない。メインテナンスした自転車の調子が良いように、やればやるだけ自分に返ってくる。スポーツとよく類似されるがアスリートのように選手生命が短い訳でもない。一生現役でいられるのだ。

うーん、何だか黒田節っぽくなってしまった。手元に先生の著書がないので確認出来ないのが残念なトコロだが、語学は楽しいのだ。



そうそう、究極のルールに以下があるが、これは杉田先生っぽくて好きだ。

・学ぶコトを決して止めないコト。




5.07.2013

情熱の辞書

(※4月中旬に書いた記事です。学校は再開されました。)

未だ語学学校が再開されずヒマだ。学校の友達と「もうデンマ語なんて忘れちゃったわよね~」などとおしゃべりしながら結婚式が間近に迫っている友達の式場の飾り作りを手伝ったり、何故か当日使うリムジンの試し乗りで街を一周して貰ったりと、キャッキャ、ウフフとデンマークでの春の朗らかな日々を楽しんでいる。そりゃデンマ語も衰退の一途を辿るわけだ。しかし、まず落ちるコトはなかろうとタカを括っているワタシのデンマーク滞在をかけたテストは、学校が再開云々関係なしにやって来るので、そろそろ目の前に人参でもぶら下げなければ・・・。

そんなこんなで、 ワタシの真っ赤な辞書コレクションを公開してやる気を出してみる(果たして出るのか?)。調べてはいないので全くの個人が受けた印象だが、デンマークで辞書を扱っている大手出版社は西のGYLDENDALSか東のPOLITIKENSかという程しか選択肢がない。

写真左の布張りの辞書4冊はGYLDENDALS。左下のデンマ語→独語、独語→デンマ語は通常 300kr. するところを型落ちで各100kr. で手に入れた。このサイズは最もスタンダードなタイプで、対英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、オランダ語、ロシア語、ラテンと種類も多く、改訂もよくされている。その後ポケット辞書を入手したので全くと言って出番がないが、たまに開いてはニヤニヤしている。

ちょっと色の違う右の上下はスーパー(で売られている)辞書。これ等はPOLITIKENSのものでそれぞれCD付で100kr.(確かセールだったが、通常店頭価格も150kr.程度と高くはない)。右下の英語⇔デンマ語はポケット辞書ではカバーしきれない所を補おうと思いその場で買ったが、語彙数に余り差がなかった。 まぁまぁ見やすい(が、ポケット辞典と同じく不規則動詞の変化形などは載っていない)。右上のデンデン辞書はその辺がしっかり載っていて、名詞の性とか、動詞の変化形とか、句動詞とかきちんと収められている(しかし巻末に不規則動詞一覧表掲載とかいう優しさはない)。

そして左上は最近入手した凶器的な重さを誇るデンマ語→英語(ページ数、驚きの2610頁)。定価ではまず購買意欲という単語さえ忘れてしまいそうな金額なのだが、1/8以下の破格の150kr. でも売れ残り、今にも送り返されそうになっていた中から一冊を救出した(これがもし、左下と同じスタンダードなサイズのデンマ語⇔英語ならもっと売れていたと思う)。この辞典に出会った日のワタシの財布には、150kr.きっかりしか入っていなかったので運命だったとすら思っている。最少単位のコインである50ウーレまで綺麗に使い切ったのはさすがに気持ち良かった。更に後日無事に英語→デンマ語も150kr.で手に入れた。定価が1,000kr. なのでとってもお買い得に見えてくる。辞書は正直高いので常に売ります上げますサイトのDBAでチェックしていたけれど、良い状態の物に巡り合えず、これ等全て新品。大事に大事に使おうと思っている。

番外編の子供用辞典+α

左からGYLDENDALSの子供用辞典。これも型落ちで 60kr. 改訂版は200kr. なので巡り合えたのはラッキーだった。全てデンマ語だがイラスト満載。写真左下のドラゴンが凧を上げて遊んでいる様子が描かれている挿絵など、絶妙だった。ちなみにドラゴンも凧もdrage(-en)だ。

その隣がPOLITIKENSの子供用英語→デンマ語、デンマ語→英語辞書。CD付。去年の夏、家具を探している時に古本扱いの30kr.で購入。 状態が良く、ホクホクしていたが、書店でもセールで60kr.で投げ売りされていた。定価はいくらなんだろう?とにかくラッキー。

黄色と黒のCD辞書は同じくPOLITIKENS。めったに使わないが、写真上のスーパーで買える辞書の付録には太刀打ちできない語彙を持つ。確か50kr.だったが、定価は700kr.だった気がする。まず、買えないな。定価では。

唯一定価で買ったのが、右端のポケット辞書。100kr.。ポケット辞典はPOLITIKENSからも出ている。価格も同じ。他にもっと簡素な辞書がたまにスーパーで50kr.位で売られているが、出版社はわからない。

他に携帯に入れているアプリを入れたら軽く総額1,000kr.は超えた。さて、取り戻すかな。