8月末にコペンハーゲンの移民局へ書類を提出してから2ヵ月経とうという頃、移民局から一通の手紙が届いた。「(
驚くべきことにその手紙を受け取った直後に銀行関連の書類が届いた。日付をチェックすると上記の書類が発行された翌日である。やる気になれば出来る子なのか、移民局。2ヵ月書類が眠っていたセクションの増員を願ってやまない。
彼が銀行に駆け寄り書類を手配。ワタシの身代金の書類を提出したのが11月上旬。その後2、3週間程で2年の滞在の許可が下りた。確かに申請してから3ヵ月以内と言えばその通りだ。お祝いにとGeorg Jensenを買ったのもこの頃だ。
その翌日にコミューンへ行き、住所登録。今度はイエローカードと呼ばれるCPR番号の記されたカードを待つことになる。ワタシはデンマークで結婚したので名字を変えたかったのだが、職員に相談して、CPRカードを待つことにした。これ以上移民局の負担を増やしてはいけない。
イエローカードが届いたのはクリスマス休暇直前の仕事納めの日。早速コミューンで名前を変えようも、その場では出来なかった。どんなに宗教離れが進んでもここはプロテスタントの国デンマーク。名字変更は教会で、なのだ。コミューンでワタシ達が所属する教会を調べて貰い、彼が電話で照会するとあと30分程で閉まってしまうとのこと。昼休みに付き合ってくれた彼も仕事に戻らなければいけない。が、年明けまで手続きを待つのも避けたい。急遽とんぼ返りでワタシが自転車で教会へ向かい、書類を受け取ることになった。
ところでデンマークはパンケーキの国と例えられるほど平地が続くのだが、その教会は丘の上にある。初めての土地と限られた時間と心臓破りの坂にワタシのデンマーク初の試練があった(どれだけ緩い生活をしていたのだか?)。漕いでも漕いでも先が見えない坂に「パンケーキの国だなんてメルヘンチックなこと抜かした奴出て来い。」と毒づきながらペダルを踏み続けること数分。無事に書類を受け取ったがその日の夕方は乾いた咳が止まらなかった。身に覚えがある咳である。有酸素運動ではなく、無理な運動をし続けた後に出るその咳は、7月に入国して以来である。3本目のフライトが若干遅れて、着陸した時には4本目のフライトの搭乗手続きが既に始まっていたのである。欧州某巨大空港のターミナルの端から端まで荷物を抱えて走ったあの日を忘れるなとのコトだろうか?機内持ち込みのスーツケース(+α)と共に動く歩道を5本以上走って滑り込みセーフで機内に乗り込んだ経験なんて言われなくても絶対忘れないのだけれど。
名字変更に必要な所定の手数料を振り込み、記入した書類は彼に届けて貰った。痛みも幸せも分かち合うものである。クリスマス休暇中にも関わらず、教会から別件で電話があった。その際に聞いた所、教会から直接コミューンに連絡が行き、名字が変わったようだった。年明けに義母宅から帰って来たら、教会からのワタシの名字変更完了の書類が届いていた。
Opholdskort も新しい名字のイエローカードもまだ届いてはいないけれど、イエローカードのお陰で物事がスムーズに進むことが増えた。まだまだ踏まなければいけないステップがあるが、働くことを許されず、学校へも通えない(いや、お金を払えば行けるのだが)、半透明人間としての半軟禁状態の半年が何事もなく過ぎたことに感謝しつつ、次へコマを進めたいと思う。
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