6.11.2013

応用不適合

学生時代は出来た友達に囲まれていたので、社会に出るまでワタシは同性から嫉妬されるという経験がなかった(というか、そもそもそんな対象でもないのだが)。確かに職場で資格手当を貰っていたが、資格取得の為、仕事帰りに学校へ通ったのはワタシだ(勿論自腹)。年上の職場の女性だったのだが、何度も会社が受験料を負担した試験の受験票(職種が違うので別の試験)をわざと会社に忘れたフリをして、週末のその試験をなかったことにして過ごした彼女に嫉妬されても、いやがらせをされても痛くも何ともなかった。逆に学ぶコトを拒否し、その場に居座り続けることの難しさを彼女自身が証明してくれたので、彼女には感謝しても足りないくらいだ。

何でそんな10年以上前の昔話を引っ張り出して来たかというと、最近似た体験をしたからだ。カルチャーショックもなく、語学学校も初級を飛ばし、のらりくらりと生活しているように見えるワタシが羨ましいらしい。職に就いていて自立したわけでもなく、旦那におんぶにだっこのワタシを何故・・・?

確かに寒冷地仕様のワタシにとってこの国の寒さは、「こんなに暖かい思いをしてすみません」という程「ぬくい」。寒いとあまり感じなかったのでブーツは数えるほどしか出番がなく、常にスニーカー。昨年の冬は屋内ではほぼ裸足で過ごした(室内履きは履いている)。暖房は8段階のうち1に設定すれば十分。こちらのレインコートが厚手の為、冬コートなしでやり過ごせるのでお財布にも優しいが、ワタシがこの国に住む上での先天的なアドバンテージなどこのくらいだろう。それ以外はワタシが身を削って学んで来たものである。デンマーク人と結婚した同じアジア嫁だが、ワタシ達の相違点はそれくらいである。比較するコト自体がそもそも間違いで、嫉妬などまるで異次元の言語で、何を言われているかすらわからない。

これから挙げる例と自分を結びつける気はないのだが、世の中は様々なジャンルでありとあらゆる成功本で溢れている。英才教育を受けたアスリートから、歴史的・社会的背景から外国語を学ぶ必要に迫らせて開花した翻訳家。はたまた30代から英語を本格的に学び本職にした女性や海外生活経験なしにTOEIC高得点を叩き出し続けている男性等、「ひょっとしてワタシにも出来るかも?」と思わず手に取って確かめたくなる程キャッチーな謳い文句で、アナタをレジへ誘うが、これ等のサクセスストーリーを自らに当てはめるのは大変難しい。

難しい要因の一つが環境の違い。例えばワタシが海外で英語に没頭し、日本語が不自由になって帰国してもワタシは梅子にはなれない。時代背景以外の要因全て同じだったとしても。性の差別なく学ぶ機会が21世紀の現代にはあるからである。女性にターゲットを絞ってビジネススクールを立ち上げたとしても、梅子ほどの業績は残せまい。先ほどから梅子、梅子と連呼しているのは、単に個人的趣味だが、名前云々のインパクトではなくて更地にお城を建てたのと、乱立された雑居ビルの一室を借りたのとを比べる感じだろうか。時代の違いだけではなく、例えば誰の意思で来ているのかわからないくらい遊びまくっている(ように見える)語学留学の学生と、他の分野で学位は持っていても戦争のせいで職につくことすら出来ず、食い扶持をつなぐ為に外国語を稼げるレベルまで学ばなければいけなかった学生も、先天的要因が同じだったとしても環境が違うだけでこんなにも差が出て来る。

もう一つの要因が内部的情報。ワタシは本が出来るまでの過程に詳しくないが、編集者さんのチェックが入ることもあるだろう。聞かせどころをつくるとか、膨らませるとか、こねるとか、寝かせるとか(パン作りみたいだな)。聞かせどころで「ここは正当性を示すためにも○○年度の統計を付けましょう」 なんて、編集者さんは言うだろうか?そんな盛り上がっている所で突然 * 印や脚注などつけられたら読んでいるこっちが冷めてしまう。聞かせどころの物語の山は語り手の印象とか感情とかがあってこそ盛り上がるのである。水を差すようで恐縮だが、それらのサクセスストーリーは外部的情報に乏しく、モノサシで測れない場合が多々あり、再現したくても出来ない。まぁ、そもそもそれらの山はステージを幾度か上がって行った一般人では語れないレベルのお話しだからこそエンターテイメント的要素も加わるのだろう。隣の家の佐藤君がTOEICで600点取った話など誰も聞きたくもないし、聞いたとて、面白くも何ともないのだ。そしてその分野の頂点に立った者だけが語る権利を与えられる透明なペンによって書かれたサクセスストーリーは後継者育成書でもなく、金太郎飴製造手引書でもないエンタメ本なのだ。

このように、サクセスストーリーを自分に応用することが難しいにも関わらず、ヒトはこれ等のストーリーを好む。共感しても、疑似体験をしても、それらの成功や栄光が自分のモノにはならないにも関わらず。確かに得られるヒントや試してみたいトリックもあるだろう。しかし、本一冊が成功を運んでくれるわけではないし、アナタが本の中で生きるわけでもない(この例え、怖い)。ヒトはヒト、自分は自分と受け入れ、進んでいくしかないのである。

だから仲良くして下さい。

 最初の頃捨てていなければもっとあった筈のペンの残骸。筆記用具に関して言いたいことは限りなくある

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