7.23.2013

2013 夏の試み: 当たって砕けろ スカンジナビア語制覇

ワタシには長年温め続けていた挑戦があった。しかし、挑戦と言えるほどワクワクもしないし、野望と言えるほどギラギラしていなく、疑問とするには明快過ぎるし、第一全く利益にも何にもなりそうになく、十年以上一定の距離を置かれ優先順位の最下位にあったモヤモヤを何と表現して良いか、実は良くわからない。まぁ、わかるヒトには分かるし、縁のないヒトには全く面白くも何ともない話である。ただ、こうやってコトバで表現しようとすると過去の様々な感情が溢れては消えて行き、いかにその過去が自分に与えた影響の大きさに漠然とするのだ。うーん。まぁ、いいや。

ワタシが抱き続けて来たモヤモヤは、ノル語、デンマ語、スウェ語の1つを学んでしまえば、残りの2つを学ぶのがどのくらい容易であるか?というコト(ここでほっこりを狙って「北欧語」としてしまうとアイスランドやフィンランドも加わってしまうので「スカンジナビア語」としなければいけないらしい。面倒くさいな)。 実際スウェーデンに近い所に住んでいたワタシはスウェーデン人同士のちょっとした会話なら分かったし(例えば「寒くないの?上着は?」「カバンの中。」←しかし、この程度)、ちらほらと原書でアンデルセンに目を通し、読んだつもりでいた。出来て当然という環境にいた為か、これ等3ヶ国語はもはや「方言」とすら思っていたのは傍若無人っぷりが甚だしかった10代の終わりだ。

あれから十数年の時が流れ、ワタシもデンマークに移り、別の角度からこのモヤモヤに取り組む時が来た。きっかけになったのはこの方のブログ。 残念ながら更新は途絶えているが、何度読み返しても面白い。ワタシがこの方のような向上心を持ち合わせていないのだが、背中を押されたような気になりテキストを買い集め始めたのが去年の秋。母親からの荷物と共に送って貰ったのが今年の冬である。デンマークを離れデンマ語も一休止。時は満ちた。

初めて学ぶスウェ語からやっつけて行こうと思う。


7.15.2013

物欲に屈した妄想

日本を離れ、もうすぐ一年が過ぎようとしている。すっかり飛行機に弱くなった為か、一時帰国の意思も予定も全くないのだが、もし一年前の日本にいたワタシに戻れるなら何を持って来ていたか考えてみたい。

・文房具
 嗚呼、筆記用具でもさんざん書いたが、これほど Made in Japan の文房具を欲するとは予想すらしなかった。フラットになるホッチキス、引っ張ってもブレないテープカッター、薄くて使いやすいバインダー、きちんと穴があく穴あけ機(って普通の要求なんだけど)、使い勝手の良い関数電卓(いや、これは単に慣れの問題だが)、ちょっとしたノート、滲まないペン、インクが漏れないペン、乾燥しないペン、インクが途切れないペン、ペン、ペン、ペン・・・。ずっと書いていて手が疲れないペンなんて、高望みはしていないんだけどな・・・。

・最低限の調理器具
 日本食はあれば食べるけど、無くても平気というワタシでさえ、無くて困ったもの。それは菜箸。
 たまにはうどんでも食べるかな、と探しても探してもなかった面棒。(パン作りの)ガス抜き面棒でうどんを伸ばすことになるとは・・・。餃子の皮は試していない・・・。
 ご飯茶碗やお味噌汁のお椀なんて、持ってきても多分使わないんだろうけれど、うどんやラーメンのどんぶりは欲しいな。手に入ったが最後、麺しか食べなくなったりして・・・。
 ちょっとした小皿や取り皿(まぁ、セットで買った食器しかない我が家が悪いのだけど)。
 茶漉し付きの急須/ティーポット

・食品/調味料
 たまに食べたくなるのがお蕎麦やうどん。乾麺をもっと持って来れば良かった。
 粉末だしとか、こだわりがあるならお茶とか。

・書籍
  あれもこれも捨てず/売らずに全部持って来れば良かった。鍵編みの入門書とか、手芸の本とか。デンマーク語の文法本とか。

コンタクトはこっちに来る前にまとめて購入しておいたし、面の皮が厚いのか化粧品はどこのでも良い。基礎化粧はこっちの方がオーガニックの敷居が低いのか安く買えるみたいだから、今後の課題はクレンジングオイルを探すくらいか。流行にも疎いので服にこだわりがあるわけでもない。それなのにどうして日本から送った荷物があんなに多かったのかは未だ謎だ。

7.09.2013

Moving to UK with EEA Family Permit

デンマークに嫁いで11ヵ月。今度はイギリスに引っ越すことになった。

喉元を過ぎれば何とかやらで、デンマークでのビザ申請がどれだけ大変だったかなどすっかり忘れ、苦虫を噛み潰したような顔で手配を始めた。国際結婚とは切っては切れない関係にあるビザの手続きだが、前回の申請からたった9ヵ月。ロマンスの自爆装置と呼んでいるその手続きを、何が悲しくてこんなにもすぐ繰り返さなければならないのか?しかも季節は初夏、場所は北欧。暗く長い冬が終わり、1年で一番良いと言われている季節にデンマークを去るのだ。夏至祭(サンクトハンス・アフテン)は今年も逃した。

不満を漏らしていても仕方がないので Home Office の申請書とガイドラインをプリントアウトして読み込む。オンライン申請し、コペンハーゲンにある施設でバイオメトリックを予約、がっつりビデオを撮られながらインタビューを受け、指紋も取られ、送付用封筒と、DHLの返信用伝票を貰った。ワタシ達がUK Border Agency(以下 UKBA) 送った書類は以下の通り。インデックスは当然付けた。

1.    プリントアウトした申請書とバイオメトリック時に貰ったDHLの返信用伝票
2.    現行パスポートのコピーと原本
3.     パスポートサイズのカラー写真
4.    滞在許可証のコピー(と、原本は送るなと注意書きされた書類)
5.    期限切れの1つ前のパスポートのコピー原本
6.    婚姻証明書(英語を含む外国語版)のコピーと原本  
7.    配偶者による証明(手紙)
8.    配偶者の雇用主からの手紙
9.    配偶者のパスポートのコピー(コペンの公証人役場で取って貰えた)
10.  配偶者のIDカードのコピー
11.  申請料(はかからない筈なので、とりあえず返信郵送料の領収書)
12.  配偶者の残高証明(のプロによる英訳)

書類を送ってから散々後悔したのだが、会社の法務からもそんな指示はなかったのでお付き合いや婚姻を証明する結婚式の写真等は一切添付しなかった。銀行の証明は前もって弁護士のチェックを受けていたし、何かあったら連絡は弁護士にね、と、記せたのは大きかった。バイオメトリックを受けてギリギリ3日以内の金曜の午後に発送。「週明けには届くよね?」と、一安心したのだが、この時はこれから悪夢が始まるとは夢にも思わなかった。
 
そう、配達途中に荷物が紛失したのである。

通常、パスポートを手放すなど、海外生活を送っている人間には考えられないコトだが、大英帝国サマの仰るのだから、間違いないだろうと信じたワタシ達が間 抜けだったのか?(多分そうだ)。指定された封筒に(追跡可能な)指定された方法で送ったのだが、イギリスに着いた途端、足跡が途絶えたのだ。

双方の郵便局に連絡を取り、弁護士にもUKBAに取り合って貰ったが、何の進展もないまま刻々と時間だけが過ぎて行った。アパート契約を解消し、次の入居者の目途も立っていたので、早く次の手を取らなければ間に合わない。荷物が完全に紛失したとの最悪の場合を想定して、彼のパスポートの認証されたコピーを地元の公証役場で取り、コミューンで婚姻証明書を再発行してもらった。そしてワタシのパスポートを再発行するのに必要な戸籍抄本(都心に限らず、全国どこでも海外から手続き出来るようにして貰いたいのだが)を実家に依頼をしたその日に、ようやく荷物が配達されたとの確認が取れた(って、追跡して判明しただけで、謝罪は一切なし)。

興味深かったのが彼の対応で、「確かに事態は深刻だが、紛失したのは所詮、物だ。人間が事故に遭ったとか、重傷を負ったわけではないのだから、最悪の事態ではない。」と言ったコトだった。「なくなったのはアナタ(彼)のパスポートではない!」とつっこみつつもそれなりに納得したワタシ。それでも、忙しくしている両親に戸籍謄本を取って送って貰うコトが心苦しくて(さすがにパスポートがなくなったことは伏せておいた)、早く発見されないか、されないかと何かに憑りつかれたかのように始終タブレットで追跡ページを更新していたのが、ワタシのデンマーク生活最大の修羅場だった。 ちなみにデンマーク滞在をかけた筆記テストもこの修羅場の10日間の間に受けた。語学テストというよりもう、精神の修行か何かだろう。

荷物を捌いた人間がいい加減で、その辺に放置しておいたのだが、紛失賠償の申請がされたのをきっかけにその上司が確認することになり、郵便物がパスポートだったコトを知ってあわてて配達したのではないか。と、下衆な推測をしてみたが、当たらなくとも遠く外れていないと思う。

DHLの追跡によると、返送郵便物が英国を出たのはUKBAに書類が届いてから9日後のことだった。これに関しては10-15日はかかると踏んでいたので評価したい(って偉そうだが)。っていうか、まさか渡英前から Royal Mail の洗礼を受けるとは。うわさには聞いていたが良い経験をさせて貰った。サービスの質がデンマークに住んでいた頃よりも下がるのは必須である。

本来であればイギリスへは配偶者と共に入国しなければならないらしいが、彼が既にイギリスで働いていたので、ワタシ一人での入国であった。パスポートに記載されていない滞在分はOpholdskort を見せて証明した。イギリスへの入国の厳しさは以前から聞いていたのでガクガクブルブルして入国管理局へ向かったが、幸運なことにワタシのフライトはEU発。前後に海外からの便がなかったのか、EU以外の列も待たず済んだ。 親指と人差し指の指紋を取られ、(ビザの有効期限が6ヵ月しかないので)「早く延長手続きをするように」と指示されたくらいで、あっけなく入国となったが、ふりだしに戻って一からやり直しという感じが否めない。もう少し肯定的に表現すると、経験値は積んだがゲームオーバーで、異なるステージでプレイする感じかな。

大きな声では言えないけれど、既にホームシック

7.02.2013

さよなら語学学校

日本を離れて11ヵ月が経った。区切りの良い1年ではなくて11ヵ月で振り返るのは、北欧某N国や、ドイツの大学町で過ごした期間が11ヵ月だったからだ。右も左も分からぬまま留学生活が始まり、何とか自分の力でやって行けるようになるまで11ヵ月かかった高校交換留学。単位を取りまくった大学交換留学。過去のそれらと比べてデンマークでの生活はかなり緩いものだから、もっと頑張らないとな、と自分で自分を叱咤するつもりでいたが、もうそれすらも叶わない。何故ならワタシは既にデンマークを去っているからだ。

何となくこの国を離れるかもと、雲行きが怪しくなって来たのはロックアウトが始まった頃だろうか。彼のLinkdinのプロフィールに興味を持った会社からアプローチがあり、ロックアウトが長引いているうちに、あれよあれよと転職が決まってしまったのだ。皮肉にも最終オファーが出たのは、ワタシのOpholdskort が届いた日だった。モジュールテストの前日は、引っ越し先のビザのアプリケーションを読み込んで、勉強どころではなかったし、テスト当日もパスポートをスキャンしたりと直前までバタバタしてテストどころではなかった。2週間程は申請手続きの書類集めやら、アパートの引き払い手続きやらで宿題すら出来ずに行き当たりばったりで受け答えをするというスリリングな授業を経験した。

先に述べた通り、ワタシのクラスメートは皆、出来るヒトばかりである。そしてワタシも北欧初心者ではない為、デンマーク語を学ぶのがそこまで苦ではない。そして手のかかる小さな子供がいるわけでもない気楽な身である。Job Center の(御目付役)担当者の感触も良かったし、クラス全体が11月にPD3を受ける流れだったので、ワタシも便乗して11月にPD3を受け、通常2年で終えると言われているコースを1年で終わらせるつもりでいた(し、先生にも太鼓判を押されていた)。無料で学校へ通えるのは3年なので、PD3後は残りの2年でゆっくりStudieprøvenの準備をするか、どうしても高得点が必要ならばPD3を来年の5月に受け、Studieprøvenに1年半をかけるつもりでいたのが、嗚呼、残念。ゆくゆくはぬくぬくとSUを受けながら院に進み、正規の学生をしているうちに永住権を申請するつもりだった(フルタイムの職に就くのは既に諦めている)のだが、嗚呼、残念無念。

純粋に楽しくデンマ語を学べたのが2ヵ月弱。移住テストの代案であるPD1受験の為にと引っ越し準備の合間に学校に通ったのが2ヵ月近くと、約4ヵ月という短い期間のワタシの語学学校生活はモジュール3から4に駒を進めただけで一時休止となった。再開の目途は立っていない。とは言え、こちらの家族はデンマークにいるのだから、これからもデンマ語との付き合いは続いて行く。堕ちない程度に自分でやって行くしかないな。

そんなこんなで昨年の秋から始めたブログも一時休止。もう、リアルの引越しでおなか一杯なので、このブログは図太く続けて行くけれど、カテゴリーは変える予定。

デンマーク関連の皆さん、短い間でしたがご愛読ありがとうございました。

空港の出発ロビーに近い一時駐車場のサイン。駐車チケット発券機があるわけでも、管理(監視?)の職員がいるわけでもないが、皆マナーを守っている。そんなスマートさが好きだった。

6.25.2013

デンマーク滞在試験に抜け道あり

夏が来た。といってもここは北欧。そこまで暑くはないとは思うのだが、人々の肌の露出度に驚いてしまう。気持ちは分からなくもないのだが、目のやり場に困る。ついつい老婆心から「そんなに張り切って焼いたら40過ぎにはもうボロボロになってしまうわよ。」なんて、まぁ決して口には出せぬまま短い夏は終わってしまいそうだ。しかし、そうは問屋が卸さない。ワタシにはデンマーク滞在をかけたテストが待ち構えていたのだ。

ブログタイトルの「デンマーク滞在試験(って、さっき勝手にワタシがつけた)」とはDanskprøve A1 及び A2 を指し、語学学校終了時のテストであるPrøve i Dansk 1,2,3(以下PD1、PD2、PD3) とは異なるものである(嗚呼、面倒くさい)。 この Danskprøve A1 及び A2 等の語学試験は今まで日本を含むEU以外の先進国は対象外だったのだが、今回からEU加入国以外はもれなく対象となった(らしい)。ビザが発行されてから6ヵ月以内に受けろとのお達しである。

何だか偉そうだが年明け発表予定だったこのテストは、滞在試験内容がなかなか決まらず、3月になってようやく適用された曰く付きのテストである。ワタシの配偶者ビザは昨年の秋に下りたが、3月からカウントが開始されるので9月までに終わらせれば良いらしい。A1 に受かって晴れてデンマークでの滞在が可能と身代金の一部返金。更に A2 に受かれば更に返金で 無利子で預けていた50,000kr. の約半額が返って来るのだ。詳しくはパンフで。

大体の話は分かったが、テストのレベルってどのくらいなの?との疑問には以下の図が役に立つ(って、以前の図CEFRを加えただけだが)。このA1とA2はCEFRでのレベルのことだろう。テストサンプルでは易しく感じても、A2+を取り払ってA2をひとくくりにしたら難易度が上がった感じがするな。


簡単に書いてはみたが、ここは悪名高いデンマーク、この試験もタダではない。それぞれ2,438.40kr.(5月上旬のレートで42,500円)もかかる。実際の受験時間は30分と短いが、受験場所はコペンハーゲンのあるシェラン島の一か所のみ。しかも試験対応時間、1日3時間の超お役所対応。現在の政権は過去のそれと比べるとわりと寛大(というか、まだましというレベル)なのだが、さすが移民難国デンマーク、期待を裏切らない。

期待を裏切らないと言えば、特例。社会に規律あり、法律に抜け道ありとは良く言ったものだ(って、さっきワタシが作った)。このDanskprøveにもきちんと抜け道が用意されている。A2(若しくはA1もだが、A1のみに限定するメリットはない)は Prøve i Dansk 1を7段落中、下から数えて3を取れば良いのだ(デンマークの現在の採点は、-3 ・ 00 ・ 02 ・ 4 ・ 7 ・ 10 ・ 12 というように7段階に分けていて、そのうちの02で今回のテストはパスとされる。5と8は混同しやすいから使用しないとか、2は12にごまかされやすいから02と表記する等、スケール表記は正直分かりづらい。詳しい段落の説明はココ。勿論、PD3等のもっと上のレベルの試験でも可)。受験料は1,224kr.で、しかも(多分通っている)語学学校(か、近辺)で受験出来るのだ。試験時間によっては前日入りも避けられない距離から、ワタシがA2ではなくPD1を選択したのは当然の成り行きと言えよう。

PD1の試験の説明会では、受験者が皆、良く話せるような印象を受けた(Danskuddannelse 1 と言えど皆さんモジュール6の学生なので、当然と言えば当然なのだが)。 筆記は先生が問題の説明をしている間に全て回答出来るくらい簡単なのだが、口頭試験の準備はしておかないとヤバいかも、と同じくPD1を受けるクラスメートと話して帰途についたのを覚えている。交通費を含め、時間的、金銭的ハードルは下がったが、実際のレベルはA2よりも高い。“Loophole!!!”と、喜んでばかりいられないのが移民難国デンマークでの滞在試験の抜け道である。

筆記試験は3時間という中途半端な試験時間な為か、コーヒー、水、甘い物等を持ち込んでいたヒトが少なく、張り切って準備したワタシは恥ずかしい思いをした(朝が早かったんだってば)が、単に皆、試験慣れをしていないようだった。「問題用紙にCPR番号を書くだけで、まだテストは始めないように。」という試験官を無視して問題を解き始める受験生が多く、唖然とした。何故ならこれ等のインストラクションは全て聞き取りやすい音量で一語、一語区切られて明瞭に話されていたからだ。デンマークに来てしばらく経つ気がするが、そんなデンマーク語を聞いたのは初めての経験だった。何度も書くように指示されていたCPR番号を書かずに注意を受けている受験生もいて、改めて運営側の大変さを知った。最初の2セクションは試験そのものより、忍耐強い指導官を観察していた時間が長かった。最後のセクションでようやく、試験時間内でも終わればその場で退場出来るようになったので、その前の休憩時にあらかじめ荷物をまとめておき、チャッチャとライティングを済ませ会場を後にした。この筆記試験は(失礼だが)本当に簡単で、受験前はクラスメートとテストのことを"Intellectual Insult"と、揶揄していたのだが、指導官の言っているコトすらわからなくて、ひょっとしたら落ちるかもしれないヒトもいるんだなと考えると同時に、(ワタシが言えた口ではないが、語学の面で)この程度の移民を受け入れるデンマークのコトを考えると何とも言えない気持ちになった。

ところでPD1の採点配分だが、筆記1/3、口頭2/3で採点される。筆記で12を取ったワタシは総合得点でも既に合格ライン越えの4を取ったコトになり、口頭試験は試験を受けさえすれば合格であると先生が(バラして)教えてくれたので一分間の簡単なスピーチだけ用意してリラックスして口頭試験に臨めた(が、スケールは-3からあるので、正確には単純に12/3=4ではないと思ったり。でも先生は確かに4と言ったのだが・・・。まぁいいや)。

口頭試験は5年ほどデンマークに住んでいるという中国人と組むことになった。大きなミスもなく、パートナーの足を引っ張ることもなく、つつがなく終了したつもりが、スコアは10だった。 文の構造も語彙も素晴らしいが、発音がひどかったらしい。正直ここ1ヵ月は全くと言って良い程、努力も何もしていなかったので、ぐぅの音も出ないが、まぁいいや。次に生かそう。試験結果を移民局に送れば全てが終わる。

※授業料を肩代わりしているコミューンにとって、移民がPD1を合格して学校を終了しようとPD3を合格しようと課程を修了したことに変わりはない。あくまでA2の代用試験として受験するのみで、学校は続けるとの意向を示し、コミューンの了解を取らないと恐ろしいことになる。これ等PDのテストは年に2度しか行われなく、受験締切は筆記試験の2か月前。ワタシの場合は移民局から手紙が届いたその日に語学学校及びコミューンに問い合わせて、回答(ゴーザイン)を貰ったのが締切日だった。受験料は次の日まで待って貰えた。ビザの手続きですっかり心が擦り切れてしまい、これ以上移民局に一銭も払いたくないという方にお勧めです。

6.18.2013

デンマークの洗礼

徐々に増えつつある体脂肪のサポートもあってか、一層ツラの皮が厚くなって来た気がするデンマーク生活11ヵ月目。何だかんだやらかしても大して気にもせず、のらりくらりと過ごしている。例えばスーパーでのブドウの量り売り。てっきり一袋いくらで価格表示がされていると思い込むも、実はグラム当たりの単価で、レジで青くなった経験が何度もある。もう一つが自転車。こちらの女性は細いようでも結構目方がある。台風並みに風の強かった日にそんな彼女等が自転車を降りて橋を渡っているのを横目に自転車に乗っていたら、案の定強風に煽られて車道に吹き飛ばされそうになった。流石に命が惜しかったので踏ん張ったら、筋肉がつって3週間ほど何をしても痛かったとか、他にもいろいろあった気がするのだが、思い出せないのは確実に中年に近づいている証拠だろう。

これらの取るに足りない、自らの招いたミスは全くの自己責任にて処理出来るのだが、そうでないコトはまるで意思表示すら出来ぬまま洗礼式を行われる赤子ではないか。理不尽である。

その一つがビザ関連。冬に一段落した手続きは、残るはOpholdskortを受け取り、テストに受かるだけとなった。しかし、寝ても待ってもカードは届かない。すっかり忘れていた頃に、滞在延長手続きをされたという方のブログを読んでさすがにまずいと思い、移民局に確認してみた。案の定コミューンの手違いで処理が中断されたままだった。電話上で(コミューンがないがしろにしていた)情報を伝え、3週間程してようやくOpholdskortが手に入った。ウチのコミューンは出来る子だと思っていたのに、やれやれ、である。

もう一つの洗礼的事件と言えば、散髪だろう。 電話で予約後、デンマーク的には良心的な値段のネットで評判の良かったヘアサロンに向かったのだが、これもOpholdskortに勝らぬも劣らない勝負だった。

コーヒーを頂き、息子さんがアジア旅行中だというスタイリストと世間話(というか、やっぱりこちらはお客様、色々褒めてくれる)をした後に出来上がったのは、ザ・アジア人 in Europe だった。あんなに「内側を梳いて」とお願いしたのに、落武者が座敷童に変わっただけだった。 もちろん、前髪はオン・ザ・眉毛、パッツンである。

友達も出来、行動範囲も広がり、ある程度は何でも出来るようになったデンマーク生活11ヵ月目。そもそもデンマークに洗練された技術など求めてはいなかったが、まさか洗礼の返り討ちに遭うとは思わなかった。まだまだ修行が足りないようだ。


渡欧時に手放した Melitta のコーヒーポットの後釜発見!と、 Kræmmermarked で義母に買って頂いたのは、言われなければ全く気付かないであろうロイヤルコペンハーゲンのティーポット。注いだ時に蓋が落ちないデザインで、食洗機でガンガン洗ってもビクともしない程がっしりしているので、大雑把なワタシにぴったり。あまり使い道がなかった頂きモノの鍋敷きもようやく日の目を見るようになった。何だかんだ文句を言いつつも恩恵は享受しているデンマーク生活。割と気に入っている。

6.11.2013

応用不適合

学生時代は出来た友達に囲まれていたので、社会に出るまでワタシは同性から嫉妬されるという経験がなかった(というか、そもそもそんな対象でもないのだが)。確かに職場で資格手当を貰っていたが、資格取得の為、仕事帰りに学校へ通ったのはワタシだ(勿論自腹)。年上の職場の女性だったのだが、何度も会社が受験料を負担した試験の受験票(職種が違うので別の試験)をわざと会社に忘れたフリをして、週末のその試験をなかったことにして過ごした彼女に嫉妬されても、いやがらせをされても痛くも何ともなかった。逆に学ぶコトを拒否し、その場に居座り続けることの難しさを彼女自身が証明してくれたので、彼女には感謝しても足りないくらいだ。

何でそんな10年以上前の昔話を引っ張り出して来たかというと、最近似た体験をしたからだ。カルチャーショックもなく、語学学校も初級を飛ばし、のらりくらりと生活しているように見えるワタシが羨ましいらしい。職に就いていて自立したわけでもなく、旦那におんぶにだっこのワタシを何故・・・?

確かに寒冷地仕様のワタシにとってこの国の寒さは、「こんなに暖かい思いをしてすみません」という程「ぬくい」。寒いとあまり感じなかったのでブーツは数えるほどしか出番がなく、常にスニーカー。昨年の冬は屋内ではほぼ裸足で過ごした(室内履きは履いている)。暖房は8段階のうち1に設定すれば十分。こちらのレインコートが厚手の為、冬コートなしでやり過ごせるのでお財布にも優しいが、ワタシがこの国に住む上での先天的なアドバンテージなどこのくらいだろう。それ以外はワタシが身を削って学んで来たものである。デンマーク人と結婚した同じアジア嫁だが、ワタシ達の相違点はそれくらいである。比較するコト自体がそもそも間違いで、嫉妬などまるで異次元の言語で、何を言われているかすらわからない。

これから挙げる例と自分を結びつける気はないのだが、世の中は様々なジャンルでありとあらゆる成功本で溢れている。英才教育を受けたアスリートから、歴史的・社会的背景から外国語を学ぶ必要に迫らせて開花した翻訳家。はたまた30代から英語を本格的に学び本職にした女性や海外生活経験なしにTOEIC高得点を叩き出し続けている男性等、「ひょっとしてワタシにも出来るかも?」と思わず手に取って確かめたくなる程キャッチーな謳い文句で、アナタをレジへ誘うが、これ等のサクセスストーリーを自らに当てはめるのは大変難しい。

難しい要因の一つが環境の違い。例えばワタシが海外で英語に没頭し、日本語が不自由になって帰国してもワタシは梅子にはなれない。時代背景以外の要因全て同じだったとしても。性の差別なく学ぶ機会が21世紀の現代にはあるからである。女性にターゲットを絞ってビジネススクールを立ち上げたとしても、梅子ほどの業績は残せまい。先ほどから梅子、梅子と連呼しているのは、単に個人的趣味だが、名前云々のインパクトではなくて更地にお城を建てたのと、乱立された雑居ビルの一室を借りたのとを比べる感じだろうか。時代の違いだけではなく、例えば誰の意思で来ているのかわからないくらい遊びまくっている(ように見える)語学留学の学生と、他の分野で学位は持っていても戦争のせいで職につくことすら出来ず、食い扶持をつなぐ為に外国語を稼げるレベルまで学ばなければいけなかった学生も、先天的要因が同じだったとしても環境が違うだけでこんなにも差が出て来る。

もう一つの要因が内部的情報。ワタシは本が出来るまでの過程に詳しくないが、編集者さんのチェックが入ることもあるだろう。聞かせどころをつくるとか、膨らませるとか、こねるとか、寝かせるとか(パン作りみたいだな)。聞かせどころで「ここは正当性を示すためにも○○年度の統計を付けましょう」 なんて、編集者さんは言うだろうか?そんな盛り上がっている所で突然 * 印や脚注などつけられたら読んでいるこっちが冷めてしまう。聞かせどころの物語の山は語り手の印象とか感情とかがあってこそ盛り上がるのである。水を差すようで恐縮だが、それらのサクセスストーリーは外部的情報に乏しく、モノサシで測れない場合が多々あり、再現したくても出来ない。まぁ、そもそもそれらの山はステージを幾度か上がって行った一般人では語れないレベルのお話しだからこそエンターテイメント的要素も加わるのだろう。隣の家の佐藤君がTOEICで600点取った話など誰も聞きたくもないし、聞いたとて、面白くも何ともないのだ。そしてその分野の頂点に立った者だけが語る権利を与えられる透明なペンによって書かれたサクセスストーリーは後継者育成書でもなく、金太郎飴製造手引書でもないエンタメ本なのだ。

このように、サクセスストーリーを自分に応用することが難しいにも関わらず、ヒトはこれ等のストーリーを好む。共感しても、疑似体験をしても、それらの成功や栄光が自分のモノにはならないにも関わらず。確かに得られるヒントや試してみたいトリックもあるだろう。しかし、本一冊が成功を運んでくれるわけではないし、アナタが本の中で生きるわけでもない(この例え、怖い)。ヒトはヒト、自分は自分と受け入れ、進んでいくしかないのである。

だから仲良くして下さい。

 最初の頃捨てていなければもっとあった筈のペンの残骸。筆記用具に関して言いたいことは限りなくある